初めての時代祭
最近、私は「祭」という見出しに敏感に反応してしまうようだ。自然と「うきうき」感に浸ることが出来る。大津祭に引き続き、京都の三大祭を締めくくる時代祭に10月22日出かけた。
時代祭りの背景がよく分からなかったので、若い学生風の売り子から「時代祭」の冊子を購入した。12時開始まで時間がかなりあったので、手持ちの書籍やこの冊子に目を通しながら時間をつぶした。
京都には、鎌倉時代中期から明治時代初頭まで歴代天皇が住んでいました。が、明治維新に東京に移ってしまった。天皇がおられなくなった京都は、著しい衰退を見せ始めたといわれています。
京都市長が立ち上がり、京都を活気づかせるため、「京都の町おこしのイベント」が考え出されました。時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、始まったのです。
コースは、正午、京都御所建礼門前を出発、烏丸通、御池通、河原町通、三条通から平安神宮まで4.5キロとされました。東京奠都以前の京都の風俗を遡る時代行列が提案され、「時代祭り」と呼ばれるようになったようです。
明治維新から延暦時代へさかのぼって、順次風俗、文物の変遷を再現。現在は18列、2000人に達し行列の長さは2キロに及ぶ壮大な行列になりました。
京都御所の正門である建礼門前から南に延びる大通りは、大勢の人が詰め掛けていたので、芝生地と松の木陰で待つことにした。外国人の家族も繰り出していた。

明治維新時代の維新勤王隊列
「ピーヒャラ、ラッタッタ」と軽快なリズムに乗って維新勤王隊列が先頭に、後に、幕末の維新志士列が続いた。

江戸時代の徳川城使上洛列
徳川城使上洛列は、大礼や年始などの際に親藩または譜代の諸侯が城使として 上洛したものを再現。一般の大名行列より盛大で格式が高かった。

安土・桃山時代の織田公上洛列
天下統一のため織田信長が兵をひきいて上洛したときの様子を再現。あまりにも凛々しいので写真を撮った。

中世婦人列
大原女・桂女・淀君・・・静御前など平安時代後半から桃山時代の中世の婦人の一行の中で、目の引いた一人の大原女をパシャリ。

室町時代の室町幕府執政列
足利将軍を中心とした当時の軽武装した行列が河原町御池から河原町三条に直角に曲がると時、正面から写した。

安土・桃山時代の豊公参朝列
行列は戦国の世を制し天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の一行。特に盛儀に使われた最高の牛車。

どこに行っても、ひと・ひと・・・・。特に、御所から丸太町通・烏丸通の沿道は身動きが出来なかった。なお、御池通、平安時宮近辺も混んでいた。
ゆっくり見物できるところを求めて、兎に角、御所建礼門前から平安神宮まで歩いた。三条大橋を渡り市営地下鉄東山駅周辺の見物客が少なかったので、再び戻ってきた。近くにはコンビにあり、飲み物・食べ物を手に入れ、道路の縁石に座り込みすべての行列を見ることにした。
時代祭の後陣を勤めているのが、丹波の弓の名手たち。これにて御苑のパレードは終了した。最後尾はパトカー。

最後に、行列の先頭を勤めるのは誰か気になるもだ。やはり、京都府知事・市長・府議会議長を乗せた御用馬車でした。大きな態度で乗っていたが、時代祭を立案した立役者であったので、先達を受け持っていることに納得。
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