第8回歩いて歩いて琵琶湖一周(JR彦根駅~JR長浜駅)
2014年10月30日

第8回歩いて歩いて琵琶湖一周(JR彦根駅~JR長浜駅)

N

nonio

• 野洲市

詳細

日時      :平成26年9月16日(火)
集合場所  :JR彦根駅改札出口
所要時間  :7時間 14km 
コース     : JR彦根駅10:00 ~出発彦根港10:30磯漁港(11:30~12:00)昼食~
         朝妻港跡12:40~ 道の駅近江母郷13:20~JR長浜駅15:00

 今回が琵琶湖一周17回の計画に対して8回目、ほぼ半ばになり、参加者も半減し、7名になった。
「なんで、琵琶湖一周するの」と、問いかけてみた。
「そこに琵琶湖があるから」と誰かが言ったが、誰も真にしなかった。一人では行けないので仲間と一緒に歩きたかった、一度歩き出したら最後まで完歩したいとか、色々な意見があったが、琵琶湖を一周したいから。そうなんだ。ただ琵琶湖の周りを歩きたかった。そんな人が集まっていた。

彦根駅を出発して琵琶湖河畔沿いに長浜駅を目指す


鳥人間コンクール会場の松原水泳場

 湖岸道路を進んでいくと、磯が出っ張ったところに歌碑が建ててあった。突然、歩くのをやめて、みんな彫られている文字の解明に夢中になった。

     磯の崎 漕ぎたみ行けば 近江のみ 八十(やそ)の港に 鵠さわに鳴く
     (磯の崎漕ぎ廻(た)み行けば近江の海(み) 八十(やそ)の港(みなと)に鵠
(たづ)多(さは)に鳴く)

 この俳句で漢字【鵠】が分からなかった。仲間の一人が早速、スマートフォンで調べたところ、「鵠」の漢字は「たづ」と読むことが分かった。この文字には ツルやコウノトリなどの白い大きい鳥も含まれているのだが、現在でも、コハクチョウが越冬してきていることからして、「鵠」とは白鳥を指しているのであろう。

 高市黒人が北陸からの帰り、塩津の港を出て琵琶湖畔の行く途中で詠んだようで、磯の崎を漕ぎ廻ってゆくと、近江の湖の数知れぬ港で白鳥がたくさん群れて鳴いている当時の旅愁を謳っている句である。
 私は、後ろで、湖を渡ってくる風の藻の匂い、水辺に繰り返し寄せてくるさざなみの音を耳にしながら、歌碑を眺めていた。
  この万葉の「磯の崎 漕ぎたみ・・・・」歌碑は、昭和19年当時、入江湖の干拓に学徒動員された「雪と泥沼」の小説赤座憲久著に愛着を込めて描かれている。地元の人達にとって、ここは、昔から親しみのある場所であった。

高市連黒人(たけちのくろひと)の万葉集の歌碑

磯漁港


磯漁港にて早めの昼食

 松原を越え入江橋にやってきた。これらの地名は、かって、琵琶湖の二番目の大きさであった入江内湖、その南、彦根側に松原内湖の名残を留めていた。今では、干拓され広大な田園地帯に生まれ変わっていた。想像しがたいが、米原駅の東側まで内湖の水面が入り込んでいた。

入江内湖のあった入江橋


 朝妻と言うところにやってきた。
いにしえより、湖上交通の要衝として栄えていた土地だった。大津や坂本などの湊を目指して多くの船が行き交っていた。 それにしても、「朝妻」と言う地名は、いやに色っぽい。

 標示板には、「朝妻船」「朝妻千軒その実体は 不明だが、家屋が千軒以上あった」など当たり障りのない表現がされていた。仲間が言葉通り、朝まで妻というところから朝妻となったと教えてくれた。船客相手の遊女が多くいたようで、往時の華やいだ繁栄ぶりが目に浮かんだ。

朝妻公園にて一休み

朝妻公園から薄っすらと見える竹生島を望む

 湖北の長浜まで来ると滋賀県を代表する伊吹山が見えてきた。伊吹山は湖北のシンボル、いや滋賀県のシンボル山である。初めて伊吹山に出合ったのは、清滝寺徳源院の参道付近からである。北陸独特の伊吹おろしの気候になった頃。うっすら雪化粧となった恐ろしいほど近寄りがたい姿であった。この光景がずっと脳裏にあった。2008年11月28日 柏原~醒井ウォーキング

 この山は、著名な山岳随筆深田久弥が選んだ日本の百名山でもあった。 標高が、1300mを少し上回る程度である。が、山の姿が美しく品格や山の歴史があるとした。もし、この姿を見てどう思うだろうか。司馬遼太郎は「街道をゆく二十四」でこう綴っている。“セメント工場がかぶりとった伊吹山”と・・・・。
 かぶり取られた伊吹山が痛々しい。

道の駅近江母の郷より望む石灰を掘りで段差がついた痛ましい伊吹山

最終地点長浜城の到着


辿ったコースについては、上記の「詳しい地図で見る」をクリック

不適切な内容や規約違反を発見した場合はご報告ください

この記事を書いた人

N

nonio

1週間前から参加
野洲市

ユーザー詳細