私たち大人が、子どもを守るのです。
東電福島原発事故由来の放射能汚染を調べるということでは、事故から6年も経ち、半減期30年のセシウム137に対して半減期2年のセシウム134の比率が小さくなってきて、市民放射能測定所レベルでは福島由来かそれ以前からの核実験やチェルノブイリ由来の汚染なのかがだんだんと判別しづらくなってきています。
そんな今更になって、おうみ市民放射能測定所を開所したのは、だから測定だけが目的ではありません。
被曝のことに私たち全員が向き合って考え声を上げ続けることが、私たちを戦争へ向かわせないための唯一の手段だからです。
原発に反対することは、戦争に反対することであり、あらゆる差別と搾取に反対することであり、被曝に反対しない反原発というのはあり得ないからです。
重要なことなので、繰り返します。
被曝のことに私たち全員が向き合って考え声を上げ続けることが、私たちを戦争へ向かわせないための唯一の手段だからです。
原発に反対することは、戦争に反対することであり、あらゆる差別と搾取に反対することであり、被曝に反対しない反原発というのはあり得ないからです。
兎に角、子どもたちが戦争に駆り出されないために、考えて動きつづけるしかないのです。
私が小さかった頃よりも明らかに世界はひどくなっていて、未来は先細っていくように思えてならないけど、だけど生まれてくる子どもたちにとっての未来はどんな子にとっても全開に開かれているのだから、その世界を少しでも多く見させてあげたい。
子どもを殺されないために、与えられる情報を鵜呑みにせず、目と勘を養って自分で選択できるようになることが大切です。
市民放射能測定所は、選択の勘を養うための手段のひとつです。
食べ物や土を測ってみることから始まる「おしゃべり」を共有したい。
子どもたちを私たち大人がみんなで守りたい。
この国の政府はあまりにもひどすぎて、何もかもが悲しいです。悔しいです。
私たち大人が、子どもを守ることを考えなくてはいけません。
当たり前のことですが、当たり前が当たり前でなくされている社会です。
(加納)
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