カヤランと風ランの出会い
2025年06月16日

カヤランと風ランの出会い

N

nonio

• 野洲市

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先日、Nさんから1枚の写真付きのメールが届いた。着生ランのカヤランと記されていた。「着生ラン」という言葉は、私にとって時を越えて伝わるメッセージのようで、懐かしい記憶の扉を開けてしまった。

—私は風ランの小鉢を、5~6年精魂込めて世話をしていました。
風ランもまた着生ランの一種で、自然界では樹木の幹や岩に根を張り、宿主に依存することなく独立して生きている植物である。その逞しさに魅せられ、私は小さな鉢の中で育ててきた。
 風ランと言うぐらいだから、風を好むのであろう。夏場になれば風が通りやすいところにおいてやり、冬になったら陽が射すところへ。少し元気がなくなれば、液肥・水・新しい水苔で包んでやったり、あれこれ気遣った。そしていつも私の手元にいた—
芳香を放つ風ラン

  この風ランは、6月から7月に、清々しい白い花を咲かせます。夕方暗くなると、自分の存在を伝えるために、ほのかな香りが辺りを漂い始めます。それはゆっくりと穏やかで上品な匂いが、狭い部屋を充満させていきます。
 この空間には、風ランと私しかいないのです。
私という存在を知っているのかどうか知る由もありませんが、この風ランは妖美な匂いを放ち「私と一緒に時間を共にしたい」といっているのであろう。毎年同じ時期に必ず訪れるこの瞬間の出現こそが、風ランが私への感謝の印なのだろう。
 薄暗くなった室内では、白く細長く反り返った花弁の光とその影が可憐さを伝えてくれます。視覚は目に見える刹那的な印象をもたらします。それに対して香りは、その背後にある記憶や感情を、時間軸を超えてそっと運んでくれると言えます。この不思議な力は、私の遠い昔の感情や記憶を鮮やかに呼び戻すことができるのです。
目にしたものは時が経つとすっと薄れてしまうことがあります。だが、香りは時間を超えて記憶の中に長く寄り添うので、過去の自分との対話ができるのです。

 Nさんからのカヤランの写真を見て、風ランと同じ着生ランの仲間であるカヤランが、どのように自然の中で生きているのかを、どうしてもこの目で確かめたかった。—鉢の中で大切に育てた風ランも美しいが、やはり着生ランが樹木にしがみつき、逞しく花を咲かせる姿こそが真の美しさではないだろうか—

 既に5月上旬になっていたので、カヤランの花期は過ぎていたが、出かけることにした。一回目の探索では、カヤランを見つけることができなかった。が、着生ランが好む環境や樹種について理解を深めることができ、次回への手がかりを得ることができた。楓の古木、特に樹皮に適度な凹凸があり、湿度を保ちやすい環境を持つ樹が狙い目だということが分かった。
 翌日、前日の観察を踏まえて再びその場所に出かけた。今度は楓の樹を丹念に一本ずつ見上げていった。双眼鏡を片手に、幹の分岐点や樹皮の窪みを重点的に探していく。かなりの本数を確認していって、ついに運命の一本に出会った。

 樹高約10メートルほどの楓の古木の、地上から3~4メートルほどの高さの幹に、それは静かに着生していた。カヤランの茎は下向きに伸びており、肉厚の葉が重なり合うように茂っていた。茎はほとんど枝分かれせず、直線的に伸びている。茎には接近して多数の葉をつけ、全体として扇状の美しいシルエットを描いていた。それにしても、予想以上にその姿は大きく力強さに驚いた。
 よく見ると、既に花期を過ぎていたにも関わらず、一つだけ小さな黄色の花をつけていた。人の手で世話された風ランの洗練された美しさとは対照的に、カヤランには風雨に耐え、限られた養分で生き抜き、それでも毎年花を咲かせる自然の中で生き抜く野生の姿に感動した。

 来年は大型望遠レンズを持参して、カヤランの花期に合わせて再び訪れたい。今度は満開の花を写真に収め、その野生の美しさを記録に残したいと思う。
着生ランとの出会いが、トリガーとなり、香りの記憶と視覚の感動を結ぶ、私にとって特別な体験を言葉として綴ることができた。

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