八ヶ岳編笠山を巡って/堀辰雄『風立ちぬ』
山麓から八ヶ岳を見ると、八つの峰が連なっているので、そう呼ばれるようになったと言われている。この山の魅力は、何といってもこれらの峰々から伸びた山裾にあると思っている。優雅に張り出している長く引いた姿が美しく、私の脳裏に焼き付いている。

この伸びやかに広がる富士見高原を舞台にして、作家堀辰雄は『風立ちぬ』の小説を切々と綴っている。 春・夏・冬と季節が移り変わっていく中で、死の影に脅かされている婚約者との最後の日々が描かれている。
「それらの夏の日々、一面の薄(すすき)の生い 茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもそ の傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった」から始まり「私の足もとでも風の余りらしいものが、2、3つの落葉を他の落葉の上にさらさら音を立てながら移している」で小説は閉じられている。
少しでも、『風立ちぬ』の世界に浸りたいとの思いで、八ヶ岳の南西端に位置する富士見高原近くの登山口観音平から編笠山を目指した。
名神高速道路竜王ICから中央高速自動車道の小淵沢ICで降り、八ヶ岳高原ラインを進み観音平の駐車場に着いたのが、11時40分。
出かけたのが、7月28日の日曜日であったのか、駐車場に収まりきれない自動車で溢れていた。随分手前の道路わきに、数珠つなぎに路上駐車がされていた。予想外の人気がある登山口であった。
猛暑の時期、1000m以下の低山では、むせる暑さに、ただただ耐えなければならない山行となるのだが、この登山口に降り立った時で、肌に感じる空気感はひんやりとしていて、すがすがしい。既に標高が1564m。 目指す編笠山(2524m)では、標高差が960mだから、少し頑張れば日帰り登山も可能。だから、ハイカー気分の人達が高山登山を味わうため、押し寄せて来ているのであろう。

登山路に導かれてゆっくりとした足取りで、進んでいった。カラマツ林に覆われ、時折、灰白色の樹皮をしたガケカンバも見られた。林床にはびっしりと笹原が広がっていた。これらの樹木が吐き出す清々しい空気が辺りを包んでいた。
出発したのが、正午。坂道を登っていくのは、我々のグループだけ。出合う人は下山者だけだ。次から次へと出合う人の顔は、一仕事を済ましたように、晴れやかであった。一方、これから迫ってくる息も絶え絶えになる坂道に備えて、苦しい戦いが始まっていた。何回山に登っても慣れることはことがなく、登りは辛いものだ。
展望のよい「雲海」を難なく通過し、青年小屋への分岐点となっている「押手川」までやってきた。これから、いよいよ急登が始まった。とっくに咲き終わっていたと思っていたシャクナゲが、白い花を付けていた。山ホタルブクロもみかけた。ここは、やはり、季節の移り変わりがのんびりしているようだ。これらの草木を見ていると気がまぎれるものだ。
益々勾配が増し、森林限界に達すると、視界が開けだした。ここまで登って来ると、諦めの境地となり、身体は辛いが、これに馴染んでしまうから不思議だ。 岩礫の急斜面を上り詰めて、編笠山の頂上に立った。
編笠山から八ヶ岳の主峰を望む

その日は青年小屋で一泊した。 昔は7月末になると、梅雨明けとなり、日本列島が高気圧に覆われて、夏山シーズン開幕の到来となったものだが、この頃の天気は、気が荒く、気ままになった。翌日、青年小屋はガスに覆われ、朝から土砂降りとなっていた。あえなく、もと来た観音平に引き返した。
全員ずぶ濡れで下山を強いられた

残念ながら、サナトリウムのある富士見台には行けなかったので、ヴァレリーの詩の一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」を表題にしたこの小説を帰宅後、再度読み出した。
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