第4回歩いて歩いて琵琶湖一周(琵琶湖博物館~鮎屋の里)
2013年04月20日

第4回歩いて歩いて琵琶湖一周(琵琶湖博物館~鮎屋の里)

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nonio

• 野洲市

詳細

第4回琵琶湖一周

日付     :平成25年3月16日(土) 

 集合場所  :南草津駅西口 近江バス

 コース    :琵琶湖博物館~第一なぎさ公園~鮎屋の里 

 距離     :約11.1km

 時間     :3.5時間(昼食含む)

 最寄りのJR駅:野洲駅 近江バス

 今回の出発地は烏丸半島にある琵琶湖博物館より道の駅に寄り道して、風力発電の大型のプロペラを見やりながら、湖周道路を北進していった。

 沖合は凪いでいるのだろうか、春霞がたなびいていた。対岸の比叡山、比良山系から湖を渡ってきた湖風が、すがすがしく、足も軽やかだ。時折 、柔らかい 風が湖の面をなでると、風が水面にさざなみを立っていた。そして、湖畔の湖岸に、一定のリズムで「のたりのたり」と打ち寄せていた。のどかな波音は、心の底まで伝わってきた。

 この辺りの湖畔周辺は、昔から琵琶湖でも有数のヨシ地帯であった。が、ヨシ群落がどんどん消えていった。最近では、「湖畔や河川敷に群落を形成するヨシは、水質の悪化を防ぎ、さらに茎につく微生物によって水の汚れを分解する働きがある」と見直され、滋賀県はヨシの保護と育成を目的にした「ヨシ条例」を制定された。肌寒い中、湖水に浸かりながらヨシの刈取りや植栽などの管理が行われていた。琵琶湖の湖畔には欠かせない植物であると行政も、今になって気づいたようだ。

 肌寒い中、湖水に浸かりながらヨシの世話

 ウォークしていると自然と目に入ってくるが、秀麗な姿の三上山である。この山は、御上山、三神山、御影山、百足山と、数々の別名を持ち、円錐形の山容を持つ富士山に似た姿から、近江富士とも呼ばれている。さほど高くない標高432m山である。が、この山は湖の東岸にある平野部に位置し、辺りをあっして際立っている。

 昔、中山道を旅した人々は、京都を立った旅人は「京立ち守山泊まり」と言われた。だが、守山宿で泊まれるのは上層階級だけで、庶民は野洲川を渡って永原、小堤、大篠原まで足を延ばしていたようだ。 夕方になり、野洲川を渡る旅人にとっては、三上山を見ながら何を思っていたのであろうか。

 京から東海道を下る場合、「京立ち石部泊まり」、といわれたようで、京を発った旅人は、石部宿に泊まった。 安藤広重の浮世絵には「目川里」がある。遠く見える山として、三上山の春霞が描かれている。

 現在、野洲駅開業120周年展を迎えている。120年前には東海道本線がなかったのだ。移動手段といえば、今では考えられないことだが、街道を歩くことであった。当時、中山道・東海道を旅していた人々にとって三上山は、大切な目印になっていたに違いなかった。旅人にダブらして、昔日の街道の情景を仲間と語り思いめぐらしながら、三上山を眺めていた。

三上山と右の菩提寺山

野洲川から望む三上山

 琵琶湖大橋が架かっているところは、琵琶湖で最も狭くなった所である。野洲川と向かいの真野川が土砂を流れ込み、北湖と南湖を分けるくびれを形成した。そこに昭和39年、大橋が建てられ、 琵琶湖を横断して大津市の堅田と守山市の今浜を結ばれた。

 昨年11月、堅田浮御堂に行ったとき、三上山が、ちょうど見えるところに句碑があった。読みにくかったが、芭蕉の一句「比良三上雪さしわたせ鷺の橋」であると仲間が説明してくれた。「飛んでいた白鷺に、比良山と三上山の間に雪の白い橋を架け渡しておくれ」と詠んだものであると解説してくれた。現在、なだらかな曲線を描いた白い鋼鉄製の大橋が建設され、芭蕉の思い描いた風景になったようだ。

 ここを越えると、いち早く春がきたこと知らせてくれる「守山なぎさ公園」があった。比良山系の頂上にはわずかに残雪を背景に菜の花に出合うことができた。カンザキハナナという名前の早咲きの菜の花が12,000本ほど毎年、守山市シルバー人材センターの方たちで育てられているところである。その後24日の訪れたときには、菜の花はかなり傷んでいた。

「守山なぎさ公園」の菜の花

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