希望が丘に咲く「梅花オウレン」
2021年04月15日

希望が丘に咲く「梅花オウレン」

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nonio

• 野洲市

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  希望が丘周辺の丘陵地帯には、数々の山野草が自生している。既に、私は40種類以上を確認している。

 数年前、Kさんから 「希望が丘にも”

梅花黄連

”が巡ってくる時節・・・」との便りを“ふと”思い出した。この花は、私にとって、取って置きの山野草である。むろん、『希望が丘MAPで見られる花』にも記載されていない。

 時期がどうかなぁ~とか、盗掘されたかもしれないとか気にしながら、希望が丘の奥に踏み入った。

 柔らかい日射しが射し込む渓谷は温み、辺りの草木の芽吹きもちらほら、季節が動き始めていた。清流が、右から左へたゆたゆと流れていた。鳥の鳴き声すらない静寂を打ち消していたのが、せせらぎの音だった。

 自生している処をすっかり忘れてしまい、あれこれ探しながら当てもなくさ迷った。

そうこうしている内に、見覚えのある目印を見出し、木陰越しに覗いてみると、脳裏にあった光景が飛び込んできた。

近づき見回してみると、以前と変わりなく一隅を居場所としていた。生息範囲を広げる意志がないと言うより、そこでしか育つことが、できないのであろう。

 さて、この花の名前を授けたのは、世界的な植物学者牧野富太郎博士である。富太郎が東京大学の助手になったのは、明治26年で、32歳。講師になったのが51歳。講師を辞めたのが78歳。

新聞記者などは、富太郎のことを、「万年助手」と言いまた、「万年講師」と呼ばれた。この間、助手から講師を辞めるまで、46年間、侍で言えば足軽の身分で東大に努めた人である。

 児童書の書籍『牧野富太郎【日本植物学の父】』に次のように綴られていた。

もの心がつく前から、富太郎は花や木々が好きでした。

なかでもいちばんのお気に入りは、家のうら山に咲く白い小さな花でした。この花はバイカオウレンといい、春を知らせる花です。

まだ寒いうちに、白い花びらのがくを開きます。ウメに似た姿の花のまんなかには、緑色の小さなしずく形のめしべが集まっていて、花のあとにふくらんで実になると輪にひろがり、緑色のしずくでふちどられたリングになるのです。

 牧野博士の一番のお気に入りは、家の裏山の神社に咲くバイカオウレンだった。時を知り、花を咲かせ、実り、季節に合わせて姿を変える不思議の世界を探検することが楽しかったのでしょう。

 この可憐な花は、ひかえめで上品な雰囲気を持っており、私も、飽きることなく時間を共にした。気に入る写真を手に入れるまで、4日間通い詰めた。

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