南アルプス
南アルプス(仙丈岳・甲斐駒が岳)
日時 7月19日(土)〜21日(月)
19日滋賀県=戸台口<林道バス>=北沢峠〜仙水小屋
20日仙水小屋4:40 北沢峠5:20 3合目6:30 5合目7:10
小仙丈岳8:15 仙丈岳9:50 仙丈岳小屋11:5 馬の背 12:45
5合目 13:30 北沢峠14:50 仙水小屋 15:45
21日仙水小屋4:30 仙水峠5:10 駒津峰6:45 甲斐駒ケ岳8:50〜9:15
駒津峰10:30〜10:50 北沢峠12:45
南アルプスへ気心の合った7人で夏山を楽しんだ。北沢峠を隔ててお花畑のある伸びやかな山稜の仙丈岳とピラミットを思わせる秀峰の甲斐駒ケ岳に挑むことが出来、満足している。
私は、南アルプスは、一度も行ったことがない。若かった時、昭和37年以前、芦安から広河原を結ぶ野呂川林道が完成していない時代。何度か白峰三山の縦走の計画を立てたが、実行することが出来なかった。夜叉神峠から池山尾根を通って北岳を目指し間ノ岳、農鳥岳と縦走しょうと考えていた。しかし、南アルプスは、奥深い山であるため、前山超えを強いられ、稜線に到達するまでに渓谷遡行や、長い高度差になやまされる。この結果、食料・装備が重くなるイメージがあって近寄りがたかった山である。
今回訪れた仙丈岳・甲斐駒ケ岳は、南アルプス中でももっとも奥地の山であった。丹渓新道・黒戸尾根から、1日かかりのアプローチが必要であった。現在では、ふもとの北沢峠(標高約2,000m)まで南アルプス市営バスが運行しており、3,000m峰の中でもかなり簡単に登れる山となったことに驚いた。
19日は、北沢峠から1時間半ほどの距離にある仙水小屋で泊まった。30人の予約制でそれ以上を泊めないところで、食事で人気があり、評判通り夕食には刺身が出た。20日、計画では、大平山荘から、藪沢新道を通り馬の背・仙丈岳を目指す予定であったが、藪沢新道が通過不能の表示があったので、急遽、小仙丈尾根から仙丈岳の頂上を踏んで、馬の背から大滝ノ頭五合目に迂回するルートを取った。

水仙小屋の朝は早く、3時30分に一斉に電灯が点き、4時から朝食し、行程も若干長いので、薄明かりのなか出発した。
北沢峠のバス停付近は、うつそうとした原生林に覆われ、南アルプス特有の雰囲気がかもし出していた。早朝のためか人影もまばらで、より強く感じた。二・三合目の樹木のなかをもくもく登っていった。少し傾斜が、ゆるくなり、平坦になった滝ノ頭五合目に辿り着いた。ここで、小休止して、二つの道に 分かれるが、仙丈岳に向かって、直進した。いつの間にかダケカンバ帯からハイマツ帯となった。

振り向くと、 甲斐駒ケ岳の威容とV字形の谷筋に仙水小屋が、くっきりと見えた。 一歩一歩の積み重ねがここまで到達したのかとの思いと。一方、そこに小仙丈岳のピークが見えているが、なかなか辿りつかない。このジレンマがやるせない。やっとの思いで小仙丈岳(2855m)にたった。
この先は、尾根伝いの高山植物が咲き乱れる稜線漫歩になった。

小仙丈岳から仙丈岳へと続く道は、稜線上に登山道が付いている。展望を楽しみながらの稜線歩きがしばらく続く。岩場を下り、砂礫の稜線を登りかえし、山腹右側を巻くようになると、右下に仙丈小屋が見えてきた。 特に、小仙丈岳のカールを抱えた仙丈岳がすばらしかった。


小屋に下る登山道があるが、そのまま登り詰め、小さな窪地で、昼食を取った。「ぜんざい」は、一人当たり僅かであったが、温かい一口は、おいしかった。昼食後、急坂を登り切ると頂上に着いた。そこは、以外にも狭く登山者で混雑していた。
仙丈岳頂上の足元から大仙丈ケ岳と続き、さらに延々と長大な仙塩尾根が、横たえていた。遥かかなたの塩見岳へと連なっている。この景観は、写真に撮ってないが、なぜか、私の脳裏に刻みこまれている。たぶん、私の肉体では、辿り着けないので、思いを馳せたのであろう。
仙丈岳から岩屑の斜面に付けられた崩れやすい登山道を慎重に辿っていった。眼下のカールの中に、仙丈小屋が見え、正面に甲斐駒ケ岳を見ながらの楽しい下山になった。馬ノ背付近では、登山路の両脇に可憐な花が咲いていた。



馬ノ背ヒュッテのすぐ下で藪沢に合流した。
この沢には雪渓があり、ルート上には、大きな陥没ができていたので、まわり込んで沢を渡っていった。
無人の藪沢小屋を通り過ぎ、まもなく大滝ノ頭についた。仙丈岳を一周してきた。さらに、北沢峠から、仙水小屋に15:45に到着した。約10時間のアルバイトであった。
仙水小屋には、連泊した。我々7人に対して8人部屋であるので、一人の相部屋となった。
昨日は、控えめな26歳男性を引き込み、ウイスキーで盛り上がった。今日は、取っ付きの悪い50歳の男性であった。
取り敢えず、話しかけていった。我々は、仙丈岳の様子、明日の甲斐駒が岳の予定など通り一遍の挨拶をした。彼は、言った。「早川尾根にいってきた。誰とも会わず静かな山行きであった」
また、「山で追い抜かれるのともない」の。自慢話。南アルプスで遭難し、神さんに助けられたことなど非科学的なしゃべり方に、少々へ奇癖したが、することも無いので、20分程度お付き合いしているうちに、胃腸科の医者であることが分かってきた。
ここから、女性軍が、すぐさま音質を変えて「先生」と割り込んできた。明らかに「おっさん」から「先生」に豹変してきた。そこは、診療所と化した。傷の手当て、筋肉疲労のシップ、高山病、さらに心臓の薬……など親切に。女性軍の底力を垣間見た。
彼の印象深い言葉として、「胃腸薬を患者に渡すより、山に連れて行き感動を与えることにより、免疫が増長し回復する。 苦労して登った山の記憶は、一生涯忘れることがなく脳裏に刻み込まれる。これが、その人の財産である」
もう二度と会わないと思われるが、朝早くから、我々の出発を名残惜しそうに見送ってくれた。
無論、名前も住所もわららない。
21日、今日中に滋賀県まで帰るために、仙水小屋を4:30出発した。
薄暗い樹林帯を抜けると赤茶けた岩が累々と積み重なった斜面が見えてきた。駒津峰の肩まで続いていた。異様な光景であった。ふみ跡が、あっちこっちにあり、分かりにくいが、最終的に一本になって仙水峠に着いた。


ここから駒津峰まで標高差約490mの急登である。
展望のない樹林を一歩一歩とひたすら登った。針葉樹からダケカンバなどに変わると展望が開けてきた。
背後のアサヨ峰から早川尾根のすばらしい眺めと、右の甲斐駒ケ岳の摩利支天の威容に圧倒された。

砂礫の登山道になりドーム状の駒津峰頂上に到着した。大型ザックからナップザクに必要品を詰め込み、甲斐駒ケ岳のピストンを開始した。
ハイマツに囲まれたやせた岩稜帯を下り最低鞍部まで下がった。ここは、岩場であるので慎重に行動した。この先で登山道は2つに分かれる。直登ルートと右にトラバースしていくルートがあったが、赤印もあったので直登ルートを取った。花崗岩の砂礫化した斜面は、滑りやすいので転倒しないようにゆっくりと登っていった。 頂上には、大きな祠と一等三角点があった。


帰路は、安全を期してトラバースルートをとり、駒津峰に戻った。少し休憩後、双児山を経由して北沢峠に向かった。ハイマツ帯の斜面から、下りながら振り向くとあれほど澄み渡っていた空が一転してガスが甲斐駒ケ岳を包み込んでいた。双児山から北沢峠まで標高差610mの降下は、なかなかのものであった。すでに、脱水症状になっており、最後の樹林帯のジグザグには、参った。
北沢峠で、水1ℓほど飲んだ。
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