残雪の北八ヶ岳(天狗岳・北横岳)
山名 八ヶ岳
日付 4月29日~5月1日
コースタイム
4月29日 麦草峠 13:30 白駒池 麦草峠16:20
4月30日 麦草峠 6:45 ニュウ分岐 7:45 中山峠 10:00
天狗岳 11:30 黒百合ヒュッテ 12:20~12:45
中山峠 14:10 高見石小屋 14:50 麦草峠 16:00
5月1日 麦草峠 6:40 出遭いの辻 7:15 北横岳 9:45
縞枯山山荘 11:20~11:50 茶臼山 13:00
麦草峠 14:00
気の合う仲間で、北八ヶ岳の山域に赴き、麦草ヒュッテをベース基地として白駒池の散策、並びに天狗岳・北横岳の登山を楽しんだ。 このヒュッテは八ヶ岳中信高原国定公園の中ほどにあり、諏訪市と佐久穂町を横断するメルヘン街道の最高地点の麦草峠2,127mに位置する。
この北八ヶ岳は、険しい南八ヶ岳と違って、樹林帯に包まれ、湖が点在し、穏やかな山並みが広がっている。特に、長く優雅に延びた何本もの山裾の曲線が艶かしく、以前から気に入っているところだ。
4~5月、まだまだ雪積があり、降雪を見ることもある。現に、我々が入山した前日、山は大荒れのようだ。麦草ヒュッテの管理人が「前日、雪も降った。ここずっと天気がぐずついた」と言っておられた。だが、我々はこの3日間好天に恵まれた。強い日差しを受け、爽快な雪山登山を十二分に満喫することになった。
今回の登山で最も美しい写真はこれだ。3日目麦草峠から北横岳へ向かう際、左に迂回するようなコースをとった。出遭いの辻~五辻付近から、天狗岳などを眺望した。南アルプスも遠望出来た。何時も高山に来ると青色の空・真っ白な峰を期待するのだが、期待に違わず素晴らしい光景に出くわすことが出来た。


第1日目は、滋賀県野洲市を車で午前7時出発し、麦草ヒュッテに13時到着。余った時間で白駒池を散策することにした。
北八ヶ岳の魅せられるひとつには、湖・湿地帯が点在している。そんな中で、白駒池は、標高2115mにある白駒池は、日本の標高2000m以上にある池では最も大きい。ここは、入りやすいので秋には観光客も訪れる紅葉の名所として知られたところである。

国道299号線沿いにある麦草峠の草原を辿り、深々とした森林帯を真っ直ぐ進んだ。明日通過する丸山へ行く道標を見遣りながら、左へ進路を取りしばらく進むと白駒池に到着した。この時期の白駒池は、一面氷に覆われた別世界であった。周囲にびっしりと針葉樹が生い茂り、原生林の圧倒的な存在と、ヒトも寄せ付けない静寂が漂っていた。
山奥の白駒池畔にある青苔荘は、年中営業しているようである。入口の軒先には暖をとるための薪が揃えて積み上げられていた。山荘内に入らなかったが、外部からでもヒトの気配が感じられ、ほのかに温かさが伝わってきた。より寒さを感じながら周遊コースを歩き対岸までいった。空はブルーに澄み渡り、樹林帯の緑、湖面の白が眩い。
山にきた時は、常に空の青色にこだわっている。高い山から眺める空の方が濃い空色になる。空気が澄み切っているほど、青味が深くなる。藍に近い青色になる。これは空気が薄いためで、青色の散乱が減り、さらに波長の短い紫や藍色が散乱するためである。
小生求めている「空色」は、日頃目にする「うす青色」ではない、強いて色名を挙げれば「群青色」である。フェルメールの代表作『青いターバンの少女』のターバンに見られる青かも知れない。
二日目、ニュウを経由して天狗岳に登り麦草峠の戻ってくるコースである。天狗岳はアルピニスト野口健が 16歳の時に始めて登頂した山でもあり、彼の原点の山である。この山は、積雪期の初歩から中級クラスの登山家の登竜門でもある。

殆どのヒトは、黒百合平から天狗岳に行くコースを選ぶが、ニュウから中山峠を通り、頂上を目指した。このルートを辿る登山者はおらないようだ。白駒荘を通り過ぎニュウへの道標以降全くトレースがなくなった。麦草峠から天狗岳へ行くにしても、丸山から高見石小屋を経由しているようだ。
樹下は積雪しているのでどこでも進めるが、出来るだけテープを辿っていった。やがて展望が開け露岩のニュウやってきた。今日目指す双耳峰の険しく突き立った天狗岳を目にした。鋭角的な岩峰を突き出しているのが東天狗、丸みを帯びているのは西天狗である。

再び、台地状の深い針葉森林帯を越え、中山峠にやってきた。ここから天狗岳を眺めてみると白一色の急峻な尾根に、何人かのパーティーが点の様になって張付き登頂していた。下から見る限りでは、かなりの高度差があるように思え、全員安全に登りきれるかとの思いで緊張感を覚えた。
いつの間にかダケカンバ林の限界森林帯を抜け厳しい登りになった。アイゼンの爪を利かし慎重に登って行った。頂上近くには、大きな雪庇が張り出してので、回り込み直下の岩盤帯にでた。
小生、アイゼンの紐が岩場に接触し切断するトラブルに巻き込まれ、足を痛めてしまった。パーティーの支障が無い様に左足をかばいながら最大限の努力を払いながら上頂に達した。ここからが辛い歩行になったが、余り口には出さなかった。
東天狗岳の頂上では、休息の間、補足のロープでアイゼンを取り付ける作業に手間取った。
ここは、南・北八ガ岳のほぼ中央に位置し、全山が手に取るように見えるところである。南八ヶ岳は、主峰の赤岳を中心に阿弥陀岳・権現岳などの鋭く立つ峰が並び、危険が伴うところだ。以前、積雪期に硫黄岳の背後にある赤岳へと何回も縦走したこともあった。この天狗山はひとつの通過点であったので、余り記憶にない。だが、今ではここを登りきるのが精一杯である。
風が吹きさらしの頂上は、体力が奪われる。早々に下山にかかった。東・西天狗岳の中間点の鞍部から山腹を巻くルートを取った。トラバースが強いられた。雪面に慣れていない者はかなり恐怖を感じたようだ。天狗の奥庭の岩盤帯を通り黒百合ヒユッテに下りてきた。たいした距離がなかったが、アイゼンを装着したまま岩場を通過したため以外に時間をくってしまった。ここで昼食をとった。午後になると雲も発生し空模様も怪しくなり、早めの出発となった。中山峠から丸山を経て麦草峠に戻ってきた。写真クリックすると拡大
頂上直下 東天狗岳 主峰の赤岳 西天狗岳

全員、雪面を重いアイゼンを付け歩き回ったので足の疲労もかなり激しい。その上、小生は、左足の痛みもあったので、尻で雪面をすべるようにして下山していった。はじめはどこまで滑っていくのか不安がって誰も真似なかった。その内、案外滑り落ちないことが判り、女性達も、急坂になると「グリセード」でなく「シリセード」になってしまった。
こうなるとおばちゃんではなく、「きゃーきゃー」と叫ぶ正真正銘の二十歳に娘に変身していた。自然と戯れていると、このような”ふと”した行為から、生きるエネルギーをもらうことができる。山は良いところだ。
3日目、北横岳を目指した。全員疲労も溜まってきているので、当初の計画していた三ツ岳経由を止めた。五辻・ロープウェイの山頂駅を経由して北横岳へ。帰路は縞枯山・茶臼山を通り戻ってくることにした。

ピラタス横岳ロープウェイ駅前には、登山姿、観光客など色んな方が、たむろしていた。ここは、標高2237m。目指す北横岳までの標高差は僅か240m。冬化粧をした北横岳の人気が高いことがうかがえる。
駅前の左手には雨池山・三ツ岳・横岳に囲まれた台地が広がって、右手には縞枯山の笹原がある。正面の坪庭には、自然庭園と呼ばれるにふさわしい溶岩の台地に整備された道が付けられていた。散策する観光客に混じって北横岳に向かった。
一旦沢に下り針葉樹林帯に覆われた山腹に取り付いた。ジグザグ道を刻んでいくと、三ツ岳分岐の道標を見遣って、ヒュッテを通り過ぎ、けっこうきつい坂道を辛抱して進んでいくと北横岳南峰に飛び出した。

南北二峰からなる南峰p2472mのピークに着いた。ここから昨日苦労して登って来た天狗岳を眺めるとより一層感慨深い。更に背後にある南アルプス連山…。横を向くと南峰より7mほど高い北横岳北峰(2480m)の頂があった。
山の神から送られた見渡す限りの快晴に感謝した。

この辺りはまだまだ冬化粧で樹木には、樹氷の華が咲き厳しさを見せつけていた。
この氷ついた平坦な樹林帯を辿って行くと、北横岳北峰(2480m)の頂に繋がっていた。
秀麗な丸みを持った山容の蓼科山が、直ぐそこに見えた。その背後には北アルプスの山並みが望めた。
十分に光景を堪能した後、再び来た道を下山していった。大きな「つるはし」を持ち、且つ「ぼっか」している山人に出遭った。昔は荷物を頭の上まで背負った山男はよく見かけたものだが、最近、ヘリで輸送するため、めっきり見かけなくなった。懐かしい姿だ。凍った山道にステップを切りながら話しかけて「あれが浅間山で谷川岳だ」と親切に教えてくれた。

坪庭周遊から雨池峠に向かった。木道を進んでいくと大きな2つの三角屋根の縞枯山荘のある草原が広がる八丁平にでた。この辺りではヒトも少なくなり静けさを取り戻していた。程なく縞枯山・茶臼山を経て麦草峠にいく分岐点にやってきた。
ここから縞枯山頂まで、分岐からしばらくは緩い傾斜だが、途中から急登になった。雪も融けてステップを切って歩けるが、ずり落ちるので止む無くアイゼンを装着。
両脇にはシラビソの密林が覆っていた。山名の通り縞状に樹木が枯れていた。古木が枯れ、林内に太陽が射し込み若木も育ち、森林の世代交代がうまく行われているようだ。
縞枯山を越え、茶臼山(2384m)の頂上は展望がないが、2分ほど右手の森林帯を抜けると大岩が重なる展望台からの眺めは圧巻だ。北には蓼科山、その背後に北アルプスの山並みが続いていた。独立峰の御嶽山、更に中央アルプス、南アルプスの真っ白な峰々が競うように続いていた。
特に目を惹いたのが、縞枯山、横岳、蓼科山からのびやかに広がっている裾野は見事だ。吹き上げてくる風が強かったが、暫し、茫洋とした光景に慕たり、見飽きることがなかった。
眼前に広がる風景は、二度と見る事がないが、何時までも心に留めて置きたいものであった。山旅が終わりに近づいているので、一層感傷的になったのかもしれない。ひとりひとりこの風景を肌で感じ、何かを感じとった。その何かは定かではないが、人間本来持っている自然を崇める素直な気持ちが宿っていたように思えた。


小生の青春時代には、雪積期、この山系は入山しやすいので何回も出向いてきた。当時は、大阪駅から午後10発の夜行列車に乗り込み、塩尻駅から茅野駅まで行き、早朝にバスに乗り換えて美濃戸口・麦草峠・蓼科山登山口などから入山した。
八ヶ岳を南から北へと縦走した際、「ほっと」する箇所は、麦草峠であった。赤岳・横岳・天狗岳を越えて麦草峠にやってくるとヤレヤレとの気持ちになり、1日休憩日としたものだ。1日中、濡れたテント・寝袋・衣服を干し、寝ながら雲の流れを追っていた。
現在、ボランテアで運営されているようだが、たまたま、当時の山小屋の主が槙ストーブに当たっていたので尋ねてみると「小屋は、現在より山手にあった」と言っていた。この辺りの光景は頭で描いていた映像とは、かなり違っていた。と言うより風景の記憶は忘れ去り、ただ、雲がどんどん湧いては去って行くことだけが妙に心に染み付いていた。
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