心待ちしていた真珠の耳飾りの少女
一足先に東京上野で開催されていた「真珠の耳飾りの少女」が、神戸市立博物館でも行われることを知り、心待ちにしていた。満員になること嫌い、ためらっている間に、会期末に近づいた年の瀬に出かけることになった。
三宮駅に降り立つと、早くも何人もの「真珠の耳飾りの少女」が、こちらを射るように見つめられ歓迎されている気分になった。

ビル街を早足で通り抜け、神戸市立博物館に向かった。少し回り道をしてしまい、うろうろ歩いていたら、博物館出口を見つけた。大きな建物を回り込んで「真珠の耳飾りの少女」の大きな看板がかかっている入り口にたどり着いた。
館内にはいろいろの作品が展示されていたが、どうせ見ても印象に残らない絵画は見ない方がよいと思い、私の目当ての展示場に足を向けた。

特別の部屋にはヨハネス・フェルメールの作品「真珠の耳飾りの少女」だけが展示されていた。6列になるようにロープが張り巡らされて、大勢の人が順番待ちをしていた。立ち止まることはできなかった。兎に角、うっとりとこちらを見つめている女の子がキャンパスにいた。

その第一印象といえば、「真珠の耳飾りの少女」は意外にも小さかった。(寸法, 44.5 cm × 39 cm )観る前から頭の中では、あまりにも巨大な画像になっていたようだ。
絵画から2~3歩ほど離れるが、最前列の人達の肩越しに、この少女と充分に対面できる列も設けられていた。ここで、じっくりと眼に焼き付けてきた。
フェルメールは、光と影を巧みに使い、色数は少ないが色彩を使い分けする画家である。あえて、小生の拙い絵であるが、フエルトペンの線だけで描き、隠された秘密を探ってみた。
別名「青いターバンの少女」と言われているウルトラマリンブルーその補色とされている黄色の色彩を外し、最小限の陰影にした線だけにしてみた。すると、少女が身に着けている衣装が、際立っていることが目に付いた。
頭に巻いたターバンであり、着物に似た抜き襟は、当時のヨーロッパに文化にないトルコ・アジアの文化への憧憬なのであろう。このエキゾティックな容姿が少女を一層魅力的にしているようだ。
少女の耳の辺りが陰になり、光が反射している白い光沢だけで、大粒の真珠の耳飾りが浮かび上がるように見えているが、真珠の輪郭線を入れてみた。
絵画を眺めていると、瞳に当たった光が反射するのであろう、小さい白く塗られた点が描かれている。この白い斑点は、正面を向いていれば、両眼共正面に、右に向けば、両眼の白い斑点も右側に揃うものである。が、故意に微妙にずれて描かれている。この不安定な視点は、見る人に「おや」と違和感を覚えさせる。 何かを訴えるようでもあり、不安げに見える眼差しが妙に気にかかり、より一層ひきつけられるように描かれている。
また、下唇を白く光らせた半開き唇は、幼さを感じるが、見方によっては、ぬれた口が官能的でもある。フェルメールは、このように細部に渡って、陰影を駆使し描かれていた。

異国風の衣装をまとった少女が、体を横向きながら、 何気なく振り向いた一瞬を切り取った構図である。鑑賞している者が、逆に見つめられているようにすら感じられる。フェルメールは真珠の耳飾りの少女を手放すことなく、生涯離さなかった作品ともいわれている。このキャンパスに気に入った理想の少女を描き、この少女に恋をしてしまったのであろう。
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