2012年09月29日
ヒガン花の山頭火
9月19日、今年の秋の彼岸の入り、この時期を待っていたかのように曼珠沙華が咲きました。夏の花々が色をあせる頃、別称彼岸花は、一夜にして、茎をにょきっと伸ばし、その先に真紅の花をつけました。
葉っぱもつけない茎に、細長く強く反転する花弁を持つさまには、何か不吉なことが起こりそうな妖気な気配が漂う、この姿が忌み嫌われ墓地の花とされました。
だが、秋の彼岸が来るたびに、なぜか気になるのがヒガンバナです。

家を捨て、妻子も捨て社会も捨てた放浪流転した俳人、山頭火が詠った「分け入っても分け入っても青い山」はあまりにも有名。 山頭火は、色あせた法衣にすげがさ、地下足袋という托鉢のいでたちで、目的地もなく、風の吹くまま、気の向くまま、ただただ、歩いた。
行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、人つひに孤ならず、欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。
昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに移り住むことが出来たのである。
曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ
山野を跋扈し、自然を愛で、自ら自然に没入した山頭火は、彼岸花にちなんだ句を多く詠っている。
彼岸入りといふ晴れたり曇つたりして
歩きつづける彼岸花咲きつづける
曼珠沙華のみ眼に燃えて野分夕空し
曼珠沙華のところどころ落葉するまつのしづけさに
彼岸花の赤さがあるだけ

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