2015年05月18日
有松絞り&ならまち
愛知県有松に移り住んでいた住人の一人である竹田庄九朗が、1610年(慶長15年)から1614年(慶長19年)にかけて行われた名古屋城の築城のために、九州から来ていた人々の着用していた絞り染めの衣装を見て、当時生産が始められていた三河木綿に絞り染めを施した手ぬぐいを街道を行きかう人々に土産として売るようになったと言われています。
有松の町並みは、昔ながらの街道宿場町の姿がそのまま残されており、立派なうだつが目に入ってきます。お屋敷のなかをのぞくと、立派な庭があり、当時栄えた面影が残っています。
また、1655年(万治元年)に豊後より移住した医師三浦玄忠の妻によって豊後絞りの技法が伝えられ、有松の絞り染めは大きな進歩を遂げたと言われています。
同じ古い町で奈良のならまち
都市としての発展は、奈良の都・平城京の外京として多くの社寺が置かれたことに始まります。
長岡京遷都後も、東大寺や春日大社、興福寺のお膝元として栄え、中世以降元興寺旧境内に様々な産業(筆、墨、蚊帳、晒、布団、刀、酒、醤油など)が発展し、江戸期には有力商工業都市として町が形成されました。
現在は、町屋の原型を保ちつつ現代風に改装された飲食店や雑貨店、公共文化施設、社寺が町内各地に点在し、奈良の新たな観光スポットとして注目を集めています。
細かく入り組んだ路地を歩いていると、歴史的風情を楽しむことができます。
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