愛宕神社の本宮は亀岡それとも京都/牛松山
JR亀岡駅の橋上駅舎から北側を望むと、保津川越しに愛宕山系の山々が広がっていた。この眺めは二度目である。以前、山と山との間が窪んでいる谷合を辿り、
明智越え
をしたことがあった。今回は、正面に位置する牛松山を目指した。亀岡盆地の人々が、日ごろ目にする大事な山なので、丹波富士ともいわれている。
丹波富士ともいわれている標高636mの牛松山

駅から山頂まで2時間あれば達せるので、のんびり牛松山へと向かった。保津橋から左下に保津川下りの乗船場があって、舟が係留されていた。山麓の昔ながらの風情がある家々を通り、 何時しか通った明智越の道を見遣りながら、ゆるやかな坂を登っていくと、「金刀昆羅山2.4km」・「牛松山登山口」とした標識があった。
保津橋から保津川の眺め
我々が、登り始めて程なくして、下山してきた女性に出会った。
「健康を維持するために、朝早く出て、10丁目までくだってきた」と喋ってきた。
10合目とのように聞こえたので、聞き直すと、
「頂上近くにある金刀比羅神社の社殿近くまで、18丁目まであります」と答えた。
山では、何合目という表示だが、ここでは参詣道なのか、「丁目」と言う道しるべであった。
道脇には、〇〇丁と彫られた石柱が規則的に据え付けられていた。
毎年100回は登っているとの男性にも出会った。それ程多くではないが、地元の人達が訪れていた。我々中高年にとっても、この山は大きな負荷もなく「身の丈に合ったあんばいがよい」山であった。
登山口から約1時間で18丁目近くの金刀比羅神社についた。この金比羅さんは、桂川・保津川下りの安全をお願いするのだそうだ。
山頂近くの金毘羅神社 牛松山頂上


昼食後、眺望も利かないので、テレビ中継所を経由して国分に向かった。結構広い道を1時間ほど道なりに下って行った。
山麓に厳粛な気配が漂う格式がある神社に行きついた。神木なのであろう6~7mの幹の大杉を始め、モミなどの森林に囲まれ、神気に満ちていた。
社務所に「愛宕神社」の文字があった。京都市内の愛宕山の火防(ひぶ)せの神として信仰されている愛宕神社と同じ文字であり、何か関連があるように思い、戸惑っていた。
我々の突然の訪問で、にぎわしたのであろう。宮司と思われる方が出てこられ、この神社のなり染めを、聴くことが出来た。
「この神社は、社伝によれば元愛宕とも呼ばれ、実は亀岡市ある愛宕神社が全国の愛宕神社の総本宮なのです。
本殿は鎌倉時代の建立といわれています」。色んないきさつやら、歴史的背景を説明されたが、私にとっては充分に理解するだけの素養もなかった。どうも、大勢の方が訪れる愛宕山にある愛宕神社は、この神社の分霊を移した分社であると言うのである。
いずれにしても、余り人も訪れない辺鄙なところに、愛宕神社の総本宮があったとは、非常に興味深かった。
一方、愛宕神社(京都府京都市)も、全国に約900社ある愛宕神社の総本社であると称しているようだが。どちらが本家なのであろうか・・・・。
亀岡の愛宕神社境内
本殿(重要文化財)の覆屋
国道沿いの国分から亀岡駅まで、バスの本数は1〜2時間に1本ぐらいなので、のんびり歩いて帰路についた。
保津橋を渡りJR亀岡駅へ

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