北アルプス薬師岳
日付 2008年8月23日(土)〜25日(月)
コースタイム
8月23日(土) JR野洲駅6:15集合 折立11:15出発 三角点13:45
五光岩15:30 太郎平小屋16:30着
8月24日(日) 太郎平小屋7:00出発 薬師岳山荘9:00 薬師岳10:15
〜11:00 薬師岳山荘12:00 太郎平小屋13:45
8月25日(月) 太郎平小屋6:00出発 五光岩6:35 三角点7:45
折立9:15着 バスにて帰宅
小型写真「サムネイル」を、クリックすると拡大する。
8月23日(土) 滋賀里山ハイキングクラブの北アルプス薬師岳夏山バスハイクに参加した。
JR野洲駅には、傘を差して17名の仲間が集まってきた。バスの中でも、天気の話しで持ちきりとなった。
天気図では、朝鮮半島・太平洋に低気圧があり、九州には前線が発生し、不安定な気圧配置となり、
山行きには最悪のスタート。それでも、福井・石川・富山県を通過するごとに雨足が少し弱くなってきたので、
一途の望みをかけた 今日の行程は、折立(標高1350m)〜太郎平小屋(2330m) まで標高差965m・
距離8Kmである。
最初の目標地点である三角点(標高1871m)までの高差は、521m。ここまで、登りきると標高差としては、
半分強、直線距離として約1/3を達成し第一関門は突破、後は、太郎平小屋まで一歩一歩進めばよい。
このことを念頭にして、霧雨の中折立登山口を11時15出発した。交通機関の関係上、遅い出発となり、
後続者も殆どなかった。
折立登山口 三角点(標高1871m)
登山道は、格別の急登もなく、歩き易い道であっ
た。ブナの樹林帯の中を縫って計画通2時間かかり
三角点に到達したが、ガスに覆われ視界が利かない。三角点を少し通り抜けると森林限界になり、
風が強まってきた。
ここから先の登山道は、傾斜はゆるやかで、だらだら坂になり、歩く道として幅1m位に丸い石が
ごろごろと敷き詰められ歩き難くい。
登山路は、尾根通しに付けられ遮るものが全くない。右手の谷から強風が容赦なく顔面に吹き上げてくる。
風を遮るため振り向くと、眼下に有峰湖が見え始め、右手には垂れ込んだ雲の合間から富山湾がかすかに見て取れた。
有峰湖がかすかに見える 富山湾がかすかに見える
五光岩ベンチは、一服するのに丁度良い場所であったが、益々強風が吹き荒れてきたので、早々に先を急いだ。
それも断続的な風は、始末が悪い。風に対抗するため、斜めに体を預けても吹き止るとバランスが崩れてしまう。
何回も、よろけながら根気、登っていった。遥か遠くに赤屋根の太郎平小屋が見え隠れしてきた。最後は、
きっちりと
敷かれた木道を忠実に辿って16時30分小屋に到着した。
五光岩付近 敷かれた木道
8月24日(日)
目指す薬師岳が見えるはずだが、山は雲に隠れ視界が効かない。全員が、雨具に身を固めて
太郎平小屋を出発した。薬師岳まで標高差約600mである。しばらくは平坦な道が続き、
少し下がり、数張りのテントがあった薬師峠を通り抜けた。ここからは、樹高の低い樹林の中の急登
になった。
登山路は、昨夜から降り続いた雨が鉄砲水となって流れ落ちる水路となっていた。
軽いシャワークライミングを味わい、ワキアイアイ
となった。登りきってしばらく進み薬師平の
大きなケルンに到着。
鉄砲水の登山路 追悼のための大きなケルン
ここから左手に続く尾根伝いに登り、ぐいぐいと高度を稼ぐとやがて、傾斜がゆるくなり
薬師岳山荘に着いた。 薬師岳山荘からは、草木もない砂礫帯のジグザグの登りである。
山頂に続く稜線 薬師岳山荘

突然、一時的であるが、ガスがなくなり、太陽が射してきた。小社がある薬師如来を祭る薬師岳(2926m)の頂上に立った。 薬師堂のある山頂からは、北東側の展望として立山・剣岳、更に遠くの針の木岳・鹿島槍。東側の展望野口五郎岳・水晶岳のパノラマを楽しみ、眼下の北側に広がる金作谷カール、黒部の渓谷の景観も見ることが出来、満足した。亡き友人にも伝えた。

名残惜しい山頂を後に、往路を戻った。小さな避難小屋・遭難碑
のあるルートに立ち寄った。正規の西へ太郎平小屋に通じる尾根と、
90度ずれている広大で寒々した東南稜の尾根が見えた。
ここで豪雪のため東南稜に迷い込み、現在地を見失った遭難者の
心中を思い遣った。
偶然にも、昭和38年に、愛知大学パーティ全員が遭難した
その夏に、薬師岳を通過している。追悼のための大きなケルンに
ひとつでもと石を積み上げ供養した。
途中、薬師平周辺には、お花畑には、可憐な花が咲いていたので、
写真を撮りながら、ひとつひとつ観察しながら下っていった。
あれほど、水が流れ落ちていた沢は、すでに枯れて普通の登山路
に戻っていた。
ハクサンフウロ コイワカガミ ミヤマリンドウ
エゾシオガマ
不明

ハイマツの葉と球果
下山
後は、自由行動となり、太郎平小屋前の広場で日本酒を片手に贅沢な時間を過ごした。午後から、
端々まで澄み渡る快晴となった。 正面には薬師岳・北薬師岳、左手には雲ノ平越しに鷲ヶ岳・水晶岳が、が美しい。

薬師岳・北薬師岳

雲ノ平越しに鷲ヶ岳・水晶岳
8月25日(月)
下山日になると、意地悪く天気が回復することが時々あるが、正にその通りになった。清清しい朝を迎え、
波状をした絹積雲が現れた。「うろこ雲」「いわし雲」などと呼ばれ、
秋の代表的な雲であるが、山では、
すでに秋が忍び寄ってきているのであろう。

薬師岳・北薬師岳の朝焼け

波状をした絹積雲
やわらかい朝日が射し込み、有峰湖を覆うように雲海が、山々の間を埋め込んでいた。遠くに、凛々しい剣岳も
ながめられ、快調に下山した。近場の白樺ハイツ温泉で汗をながしバスで帰路についた。

朝日が射し込み、 有峰湖を覆う雲海
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自分で作った作図欄で 「折立〜太郎平小屋〜薬師岳」の□に”レ”マークを入れる。
北アルプスの薬師岳に出会ったのは、高校時代の親友3人で上高地から入山し、雲ノ平・剣岳へと縦走した際である。
昭和38年夏、23歳の若者は、むき出しになったハイマツの根につまずきながら雲ノ平を通過していた。
まだ、木道もなく、人にも余り出会うこともなかった。
「ふと前を見る」とハイマツで敷き詰められた広大な高原地の彼方に、なだらかな稜線を持つひときわ大きい
薬師岳の山容が浮かびあがっていた。この情景は、何年経ても私の脳裏に強く刻み込まれている。
水平に伸びた鮮やかな緑のハイマツ帯と仕切られたように遠く霞んだ薄灰色がかった薬師岳のコントラストが
未だに印象深い。この風景を眺めながら、個人の個性・持ち味そして将来のことを語り合ったことが
いまさらのように思い出す。残念ながら、ひとりは他界している。
深いガス中、薬師岳・北薬師岳を通過している。だが、岩場とガレのルートを懸命に辿ったことだけが、
記憶しており、気がつくとスゴ乗越から
越中沢山についていた
。したがって、今回の山行きで、薬師岳の頂上から、
すばらしい眺望を亡き友人に伝えたいと思った。


雲ノ平から薬師岳を望む
雲ノ平にて親友3人(破れ傘)


当時の薬師沢 籠渡し 薬師岳を通り越し越中沢山
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