逢坂山トンネル
2015年01月27日

逢坂山トンネル

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大津駅から西へ500m、国道161号沿いの石畳の道路沿い、注意してみていると今は使われていないトンネルの入り口が見えます。


明治13(1880)年7月15日、東海道本線が東に延伸され大谷~大津間が開業した。この時建設されたルートは当時の技術力では地質の悪い東山に長大トンネルを 掘削する事が困難だった事から、 京都駅から現奈良線を南下し稲荷駅付近から勧修寺を経由して大谷に至り、 大谷~大津間の逢坂峠を「日本の技術で初めて造った鉄道トンネル」と言われる逢坂山トンネル(L=664.8m)で抜けています。


当時の工部省の直轄である生野銀山の労働者が伝統的なノミやツルハシを主体とした手堀りで堀抜いたとされています。


抗門上部にある 「楽成頼功」の篇額は「落盤」を忌み嫌い、「楽成」と当時の太政大臣、三条実美の揮毫によるものです。廃線跡は戦後になって大部分が名神高速道路(昭和38年開通)の建設用地に転用される事になり、 逢坂山トンネルの西口も名神高速の盛土の下に埋まり東口のみが現存している。

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