鈴鹿山系の三子山・四方草山を訪れる
希望が丘職員HA氏など5~6人で、希望が丘の南陵コースの中にある笹尾が岳(251m)の標識板がある縦走路から東南方向に少し外れた未知のピーク252mを調べるため、GPS測定値、N35°02′52.0″ E136°04′27.4″測定精度±9mの地点へ行った。
ここから青年の城や周辺の山々を眺めていた。この時、はるか遠くに、三つのピークを見つけたHIさんが、「あれが、三子山だ」と指をさした。
私は「今週末、三子山から四方草山へ行く予定だ」といった。
「三つの山がきれいに並べたように見えるので三子山と呼ばれており、その左の高い山が、四方草だらけなので、『しおそやま(四方草山)』と言われている」と説明してくれた。主峰の四方草山が最も高く667mで、三子山の500mそこそこの山並みが続いているところである。
後日、希望が丘の山中から三子山までの距離をyahooの地図から計測すると、直線距離で30.7km。これだけ遠く離れていても、はっきりと肉眼で3ツの姿を目にすることが出来た。因みに、笹尾が岳の高さ250mから見通せる距離は、大気の屈折により6%遠くまで見えるとして倍の60km。結構遠くまで見通せるものだ。
希望が丘の南陵コースの中にある第二笹尾が岳から三子山を望む

4日後の11月16日(土)、鈴鹿の三子山・四方草山に山仲間と出掛けた。鈴鹿峠へ、いつ来ても、茶畑が見事だ。綺麗に刈り込みされた茶畑の曲線がうねうねと重なり奥の方に続いていた。人工的な幾何学模様のようだ。 土山地区は鈴鹿山系と近くを流れる野洲川によって霧がよく発生し、 この霧や朝晩の気温差が、お茶栽培に適しているのであろう。この日も、晴れの予測であったが、朝霧に包まれ幻想的な光景が広がっていた。
この茶畑の一画に、世話されていない木々が、無造作に茂っていた。ツバキやサザンカではないかと思われる白い花を見かけた。近くで作業している方に尋ねると「お茶の木だよ。世話をしなくなると、花が咲く。一旦花を咲かせるとお茶にならない」と言っていた。ここにも老齢化の波が押し寄せているのであろう。
朝霧に覆われた茶畑

三子山に向け、整備された東海自然歩道の階段を登っていった。さわやかな朝日を受けながら、植林地の中、気持ち良いスタートだった。ほぼ1時間で、一つの峰、次に二つ目の峰とアップダウンを繰り返、いつの間にか、三つ目のピークに到着。ガイドブックによると、三子山は北峰・中峰・南峰として案内されているが、標識板には、洒落たローマ数字を使用し、Ⅰ峰・Ⅱ峰・Ⅲ峰となっていた。多分、「鈴鹿の山と谷」著者西尾寿一氏が仮に名づけた名称が定着したようだ。
三子山・四方草山/のそれぞれピーク標識板
朝日を受けながら、植林地の中、出発

四方草山の登りに入り、振り返ると、こんもりとした北峰(Ⅰ峰)の向こうに中峰(Ⅱ峰)が見えたが、南峰(Ⅲ峰)は隠れて見えなかった。
このⅡ峰の谷沿いの山麓には坂下町がある。江戸時代の坂下は、宿場町として賑わい、飯盛女もいたようだ。近くの集落の若者が三子山を越えてやってきたようだ。だから、三子山の谷には谷として似つかわしくない名前も付けられている。口若妻谷・奥若妻谷という艶めかしい谷の名前がある。
三子山の北峰(Ⅰ峰)中峰(Ⅱ峰)を望む

行く手には、大きな山容が行く手を邪魔するようにそびえていた。仲間が下見時、強風が吹き荒れ、ガレ場から引返したといった地点まできた。この日も、晴れていたにも拘わらず、風がきつかった。ここは、鈴鹿山系の中で、最も高度が低いところであるので、風の通り道になっているようだ。
四方草山まで、岩場のキレットになり、固定ロープを利用しながら、ヤセ尾根伝いにキレットを通過し、頂上への笹の中の切り開かれた急登を登って、南峰ピーク(650m)に達した。数人の仲間が北峰(Ⅰ峰)で待機していたので、本峰の頂上に登らず、引き返した。仲間と合流し昼食を頂き、来た道を下山した。
三子山の北峰(Ⅰ峰)から四方草山を仰ぐ

森林帯を来た道を全員そろって下山

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