白山の日の入りと日の出
日付 2011年7月23~24日(日)
山名 白山
コースタイム 23日 別当出会12:00 中飯場 12:40 別当覗13:30
甚之助避難小屋14:20 黒ボコ岩16:00 室堂16:40
24日 室堂4:00 御前峰5:00 翠ヶ池5:30 室堂7:00
(エコーライン)甚之助避難小屋11:00 別当出会12:30
富士山や立山とともに「日本三名山」といわれてきた白山。文字通り白く冠雪した山には、神々が住む山として崇められ、古くから信仰登山が盛んに行われた。また「ハクサン」の名を付けた植物も多く、「高山植物の宝庫」ともいわれ、多くの登山客が訪れる山である。
1日目は別当出合登山口(標高1260m)を出発。中飯場で一息入れ、その後、別当覗・甚之助避難小屋(標高1975m)で小休止し、南竜分岐点から黒ボコ岩・室堂(標高2450m)を目指した。2日目は御前峰(2702m)のご来光を迎え、池廻りをして、一旦室堂に戻った。その後、エコーラインを下山して別当出会に戻るポピュラーなコースをたどった。
別当出会から吊橋を渡るとブナ林の緩やかな登り道となった。今日は、白山室堂ビジターセンターまで標高差1190mを登り一筋に耐えに耐える1日となった。
登山開始後4時間経過して、白山の主峰の御前峰が仰ぐ事ができる黒ボコ岩にやって来た。木道を進んでいくとコバイケイソウ・イワイチヨウ、ハクサンフウロ、ミヤマクロユリなどお花畑に迎えられ、今日の目的地に到着した。
やっと、白山室堂ビジターセンターに辿り着き、ビールと夕食を頂き、一息ついた。
辺りが赤色に染まり、雲海の彼方に太陽が沈みかけていく荘厳な光景に出くわした。白山室堂センター前の小高い丘に夕日を楽しむ登山者が集まっていた。太陽の上縁が西の地平線に沈みきった瞬間。日没。思わず手を合わし、素晴らしかった一日に感謝し、太陽が沈んでいくのを楽しんだ。これで二度と太陽が現われないのではないかと、錯覚さえ覚えるほど暗黒となってしまった。太陽神信仰では、日没とは「死」を象徴しているのだが・・・・。
午後7時室堂から見た日没

翌日、朝早く3時半起床し、真夏に拘らず、防寒具を着込んでいても肌寒い中、御前峰頂上(2702m)に向かった。真っ暗な中、御来光を待ちわび、4時55分待望の一瞬を迎えた。
御来光が出る少し前から雲海がほんのり赤くなると、剣岳、立山連峰、槍ヶ岳などの山並みを背景にして太陽が上がってきた。神官の音頭にあわせて、参加者全員が何のためらいもなく万歳三唱を口にした。この恍惚の瞬間を、万歳三唱以外の表現がないのかよくわからないまま、神官の言う通りに従っていた。
「1日の始まり」である。
下界では一々ご来光に感動も感じないが、ここ霊峰白山は神に近いところなのであろう、こうした光景を目の当たりにしていると、「大自然に生かされている」と思ってしまう自分が、そこに存在している。この大自然の一部である傍観者である「おのれ」が感知している存在が、より一層不思議に思えてならない。
白山の主峰の御前峰からご来光を仰ぐ

ご来光を拝み、その足で山頂の神秘の湖を訪ねた。 頂上部には大小7つの湖がある。お池巡りコース沿いに登場する湖のうち最も大きいのが"翠ヶ池"だった。次いで紺屋ヶ池、油ヶ池、血の池、五色ヶ池、百姓池、と続き、それぞれ美しい水をたたえて、白山の代表的な景観の一つとなっていた。
神秘的な翠ヶ池(みどりがいけ)

今回、色んな高山植物に出会ったが、ひときわ、小生の眼を惹いたのがイワギキョウ。高さはせいぜい10cm前後、花は釣鐘型で長さ約3cm程度。平地に咲くキキョウはすくすく育つが、2500mの高山に咲くイワギキョウは、大きくなった枝葉は風雪にもぎとられ、何百年、いや何万年それ以上の自然の摂理に従って耐え忍んで生延びて来た姿なのであろう。
砂礫地や岩陰にひっそりと控えめに、素朴で清楚な花を付ける。無駄のない美しさは、いとしいほど神々しいと思った。
可憐なイワギキョウ

白山室堂ビジターセンターで朝食を頂いて、エコーライン・南竜道を下山していった。
小屋の脇から、五葉坂を下り弥陀ヶ原を横切るように付けられた木道に沿ってエコーラインに入った。道脇にはニッコウキスゲが群生して、眼下には赤い屋根の南竜山荘が見え、油坂ノ頭・大屏風ノ頭そして別山(2399m)の雄大な山稜がくっきり見えた。ここは、喧騒とはかけ離れ、感じのとても静かな道だった。
エコーラインから望む雄大な山稜をした別山

小生にとっては、白山は相性があまりよくない山のひとつで、あまり踏み入りたくない鬼門の山となっていた。
若者の頃、冬季3月、白山から大倉山を経由し岐阜県白川村へと挑戦するため、鉄道金名線の「白山下」駅に降り立った。(御母衣ダムが注水を開始したころ)
かって「白山下」駅は白山登山へのバスの中継点であった。今では鉄道金名線が廃線に伴い廃駅となったようだ。 アクセスも悪く冬季のため2日かかりで、弥陀ヶ原まで上り詰めていた。当時GPSもなく、簡単な磁石を持っていただけで、冬仕度の装備も貧弱であった。
全面積雪で真っ白で、おまけに一寸先が見えないガスに覆われ、方向感覚が全くなくなっていた。幾ら歩いても、平面で「おかしいなー」と言いながら、それでも歩き続けていた。
その内、仲間が、「真新しい跡足を見つけた」と言い出した。だが、この白山に入山しているのは我々4人だけだ。どうもおかしいと感じるのだが、抜け出す事がどうしてもできなかった。4人が手を繋いで、幅を持って進んだりしたが、跡足が増えていくばかりであった。精神的にも焦りが生じ、疲労困憊(こんぱい)状態に陥っていた。だが、女神が微笑み、我々をまだ生かそうとしたのであろう。太陽が、射しこみ辺りのガスが晴れ渡り、九死に一生を得た。
所謂、「リング ワンデルング」にはまりこんでいたのだ。ドイツ語で、視界が悪い積雪期の平らなところで、歩いているうちに元の場所に戻ってきてしまっていたことが判った。人間、視界を閉ざされと、楽な方に歩んでいくもので、あえて五葉坂を登りきることなく、平らな弥陀ヶ原を回ってしまっていた。
この時に、危険度は相当なもので、この山には二度と行きたくない山と心に誓ったものだ。それでも、無人の室堂にもぐりこみ、引返すことなく岐阜県白川村まで抜けきっていった。
弥陀ヶ原周辺の地形

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