心の目を大切に
私の高校時代にはNHKで大河ドラマの独眼竜政宗というのが放映されていました
そのドラマのなかで次のようなものが紹介されました。好きな逸話です。


幼き頃の伊達政宗と雪斎禅師(家庭教師)の逸話
(特に伊達政宗は天然痘で片目を失っている上で)
雪斎禅師:この花は何色か?
伊達政宗:紫色にございます!
雪斎禅師:目をとじよ・・。
(だまって花をちぎり捨てる)
もう一度聞くぞ?この花は何色か?
伊達政宗:紫色にございます!
雪斎禅師:確かめもせず、なぜ紫色と言うた!
この横着者めが!(しばく)
伊達政宗:(泣きながら)
紫色にございます!
雪斎禅師:まだ言うか!
伊達政宗:心の目で見れば、今も紫色
雪斎禅師:・・・、
そうか・・。
心の目か。
心の目を、大切にせよ
伊達政宗は子供だったので、おそらくこのときは、咄嗟の言い逃れだったと思うのです。
しかし、この子を育てようと覚悟した雪斎禅師は、政宗は武将の子供ですから
厳しくしつけたいと臨んでいる、けれど、天然痘で目を失い、憐れな子供でもあるので
言い逃れの中でも、いじらしく、心の目という言葉には
一層、思うところがあったと思うのです。
心の目、
これは雪斎禅師こそ、思った言葉ではなかったか
と思って
印象深く、記憶してしまったやり取りです。
子どもたちとのやりとりは、日々お互いに、心の目で見たもののやりとりにほかなりません。
なるべく、偏見や偶像ではなく、しっかり心の目でみたもので
お互いに伝えあえたらと思います。子どもたちにも。
雪斎禅師はこのとき、他に教えたいものがあって、もちろんこの花の話をしたのですが
もっと大切なことに話がつながることがある場合は、それを優先させる優秀な教師でもあったのでしょう。
そんな話にはなりましたが、本当は
当たり前に思って、ほんの少しのことさえ小馬鹿にして、行わなかったり、軽く見て
生きてはならぬ、しっかりと、確認して、横着をしないで、偏見もすてよ
という授業をするつもりだったのでしょうね。教諭はあらかじめこんな授業をしようと腹積もりをもって授業にのぞみますから
今思うと、そんな考えで見てしまいます。
戦国武将の初学については、よい授業の組み立ててではないかと感心します。
当時、僧侶は戦国武将に寺を焼かれていましたから、優れた武将を育てることは
自分の首を締めるようなものであったので、雪斎禅師はそのことにも気づいており、
最初は丁重に断ったそうですが、寺に自らの体の弱さや、他にひける部分などを含め、
乗り越えて自らもこの不動明王のようであればと願う小さな子どもの時代の伊達政宗の姿を見たそうです。
この憐れな姿と、いじらしい子供の姿に
ほろりとしたそうです。この子に生きるすべを教えねばと思ったのでしょうね
そこから引き受ける事になったようです。
自らの首を締めることであっても、そうではないもっとよい未来がこの子を育てて実現するかもしれませんし、
その人物のよりよい未来や、その人物への信頼、願いがあると思いのり越えて教えていくのでしょうね。
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