鈴鹿最南端の旗山・小平山
Sクラブは色んなところに連れて行ってくれる。今回赴いたのは、滋賀県・三重県にまたがる鈴鹿山系の一角を占める旗山(はたやま)と小平山(こびらやま)である。
この一大山脈は、北は霊仙山から始まり、鈴鹿峠を越え、加太越えで終わっている。この最南端に位置するのが旗山・小平山である。 この辺りの山地は、油日岳(油の粗神)の信仰の山があり、忍者の修験の場でもあり、私にとっては踏み込んだことのない地域で興味深いところだ。最近、この山は、余野公園や東海自然歩道が整備されにつれて、登山者も増えているらしい。
奥余野公園(←クリック)の駐車場の登山口地点には、道標が立てられてあった。「東海道自然歩道を通りゾロ峠」、「壬申の乱、大海人皇子美濃への通路。672年」
、「源義経、平家討伐の為に西国への道。1184年」この3ツの表示がされてあった。
ここは歴史の匂いがするところだ。 また、油日岳・忍者岳などの道標も整備され、ちょっとした登山基地でもある。さらに、親切にもこの地点の海抜336.3mが示されあり、これから行く最も高い標高717m小平山との標高差約381mも計算できるように配慮がされていた。

奥余野公園を出発し、東海道自然歩道を辿っていくと、坎霞渓(かんかけい)と呼ばれる表示板があった。さらに登っていくと標識には「ぞろぞろ峠」と書かれていた。ゾロの地名一度聞くと忘れる事がない。が、ガイド本などの名称はゾロ峠となっている。
どちらが言い伝えられた地名なのか定かでない。いずれにしても、カナでこのように呼ばれているのは、古くからこの地に言い伝わってきた意味が込められているのであろう。最近、町が合併され市に統合され、地名がどんどん改名されている。これは、本来の意味を損ねているようで、あまり芳しいことではないと思っている。
ゾロ峠から小平山分岐点まで、稜線沿いにはコブを5~6通過していった。この間、潅木が両脇から迫り、払いのけるようにしなければ前進できないほど、所狭しと茂っていた。幹がねじれていたので、ネジキと言っていたが、よく見ると「あせび」林である事が分かった。
この木、足痺れ(あししびれ)が転じてアセビになったとかで、毒性がある。鹿が食べないため、優占種となり、アセビ林になったようだ。
ゾロ峠から旗山にいく途中で、鹿除けのネットに角が引っかかった大鹿に出会った。あたりの土が掘り返されて、かなり時間が経っているようであった。疲れてぐったりしていたが、我々が近づくと立ち上がり逃げる仕草になり凶暴になった。
今年は、滋賀県内でも野生の鹿に何度か遭遇している。かなり鹿が増えているようだ。
先日も高島の生杉でも、笹がほとんどなくなって嘆いておられた。鹿による食害が主な理由らしい。笹の新芽を鹿が食べてしまう。それにより鹿はより数を増やし、更なる食害を導いてしまうとのこと。だが、眼の前で、角がネットに引っかかった鹿をネットから外そうとしが、あばれてこちらが危険になった。仕方なくその場を去ったが、心がかなり痛んだ。

笹の峰付近から望むと鉄塔付近が旗山の山頂。左遠方は伊賀の霊山。

小平山の分岐から、東の尾根に入り小平山に到着した。周りは雑木に囲まれ全く展望も無く息苦しくなり、早々にもと来た山道を引き返した。分岐点まで戻り、北側が開けた尾根を見ながら下山にかかった。旗山からも展望は無いので通り過ぎ、鉄塔279で昼食となった。南東に容のよい錫杖岳が、南に青山高原など伊賀の山々が確認でき、西側からは伊賀盆地が一望できた。

№280鉄塔・281鉄塔の表示を見遣りながら巡視路を一気に下っていった。始めは自然林だが、直ぐに植林帯にはいった。手入れが行き届いてなく倒木が酷かった。途中の熊鷹天神は気づかないまま、自然歩道出会から奥余野公園に戻ってきた。9時出発して、13時30分着。
帰りの車中でも、「何か助ける手立てがなかったのか」としきりに鹿の話になった。
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