余呉湖に「内湖がある?」
2019年03月05日

 余呉湖に「内湖がある?」

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nonio

• 野洲市

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「冬景色の余呉湖の内湖に行こう?」との誘いがあった。 

 余呉湖のどこに内湖があるのかと考えつつ、 ここは、県内指折りの豪雪地帯。余呉湖を包むようした山々に霧がまとい付き、白と黒だけの情景が、広がっているとの思いをめぐらした。が、期待はずれであった。今年ほど、雪景色がないのは珍しい。 

冬の余呉湖一周

 ファイダー越しに、余呉湖の西面の山麓に、つつましやかさに屋根並みがみえた。ここは、川並集落である。山がせまる湖畔の狭隘な土地に人々が住み着いたようだ。

 湖面に穏やかに吹きつける気まぐれな風が、まだら紋様のさざなみをつくりだしていた。太陽から放たれる光線が湖面に射し込むと静かな景色にきらきらと銀色をさした。 ワカサギを追ってきたのか、渡り鳥が、あっちこっちに群れていた。湖北独特のもの憂げで物音もせず、辺りは静まりかえっていた。

 なぎになると、周囲の景観が湖面に写る事で、余呉湖は別名「鏡湖」とも呼ばれている。

川並集落の遠景

 〝余呉湖〟の湖岸にある『余呉湖観光館』前にある駐車場に停め、〝内湖らしき〟ところを目指した。桜咲くころ、大型の観光バスが数台並びに花見客でにぎやかになるところだ。導水路にかかる橋を渡って、湖畔沿いのあぜ道を西方向に黙々と進むと、余呉湖と隔離されている内湖のような箇所に導かれた。そこには、埋没林に関する立札があった。 

この埋没林は、昭和四十五年に湖水を放水した時に、湖底から当時の鏡岡中学校

科学クラブ員が発見したものである。

埋没林は、確認されたものでも、十六林にもおよび約三千年程前の乾期に繁っていた

森林の跡である。

余呉湖周辺の地下から約六千五百年前と八千年前の埋没林も見つかっていることから、

約三千年ほどの周期で繰り返す、地球の乾期と雨季の古気象学を知るうえで貴重な

資料となっている。

(昭和五十三年三月十三日町指定)

余呉町教育委員会

 余呉湖の誕生については、次の様に考えられている。

余呉川は高時川に流れ込んでいたのだが、柳ヶ瀬断層の活動により隆起と沈降によって、分断された。このため、余呉川の水路がかわり、低地に湖ができた。更に、上流の土砂で河床が高くなり、余呉湖が余呉川から孤立したと考えられている。

 要するに、この陥没湖は、周囲の山々の渓流や伏流水が流れ込むだけの特異な閉鎖湖が出来上がったのだ。

水位が低下した乾燥期には、湿地帯に森林ができ、雨期が続き湿潤期になると満水し、森林が水没して枯死、倒木を繰り返したのだ。その埋没林の年代を調べると、8,000年前、6,500年前、 3,000年ほど前の乾期に繁っていた森林だった。

 地球の環境変化の記録を保持している埋没林を守るため、「余呉湖埋没林水位調整ゲート」も備えられ、埋没林と余呉湖を区切る堤防工事が行われていたのである。 

 これが、内湖の姿であった。 

 人間の寿命はたかが100年未満。この日は思いも寄らない3000年単位の過去の知見を得られ、何だか気分的に楽しくなった。

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