繖山・猪子山から望む
2011年12月18日

繖山・猪子山から望む

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nonio

• 野洲市

詳細

日付 11月12日
山名 繖山(きぬがさやま)・猪子山(いのこやま)
コースタイム JR安土駅9:50 北腰越10:20 繖山11:30 雨宮龍神社12:30
       猪子山13:50  北向岩屋十一面観音14:00 JR能登川駅15:00

 繖山は、絹を張った傘を広げたような山容をしていることから「きぬがさ」と言う文字が当てられている。今回目指す繖山山系は、湖東平野に横たわる東西に約4km南北に約8kmと細長い山域である。この尾根伝いに、繖山・猪子山を縦走し、高いところから見下ろした眺望を満喫した。

 JR安土駅から次の能登川駅まで歩くことになった。まず、安土駅より朝鮮人街道を辿りながら、左に安土城址を見遣り、近江風土紀の石碑のある北腰越を目指した。この峠は信長が繖山と安土山の山を開削し切り通しを作ったものである。安土城から東に伸びる尾根は、北腰越という鞍部から繖山の西尾根に連なっていた。

 朝鮮人街道と分かれて山道に入った。

 登山口には「勧請西国三十三箇所」の石柱が建っており、細い階段が奥へと延びていた。いきなり、雑林中の急な登を登っていくと、石の鳥居が見えた。そこには石の祠が二つ並んでいて、中にはお地蔵さまが安置されていた。子授け地蔵である。
 この道は西国三十三ヶ所巡りの長命寺から桑実寺を経て観音正寺へ続いている正規の巡礼道ではなく、脇道である。が、道端には石仏が適宜に配置され、いにしえの匂いがする情緒ある古道である。 
 かって、巡礼者は石仏を拝みながら「現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できる」と念じ、歩んだのであろう。現在、巡礼する人は、自家用車や公共交通機関を利用する人がほとんどである。そんな参り方でご利益があるのであろうか・・・・と、苦労して辿った巡礼者に想いを馳せ、道に案内されながら登っていった。
 雑林を抜けると繖山(433m)が聳えているのが見え、桑実寺・観音寺城跡の分岐があった。



  繖山には先客数名の登山者が休憩していた。このコースは滋賀県が主要遊歩道として、整備されただけあって、踏み跡もしっかりしており、多くの訪れる人達に出会った。我々も林間から端正な三上山を見ながらこの頂上で一休みした。
 私は、この山麓周辺にある古墳や社寺・城跡には何回も足を運んでいた。だが、尾根伝いに縦走したことがなかったので、今回の高いところからの景色を楽しみにしていた。

 繖山の頂上直下に見える湖東平野の眺望は期待に違わず、素晴らしい光景であった。
 安土山、西の湖を挟んでその先に八幡山、長命寺のある奥島山が広がっていた。
しかし、これらの山々はかって、湖中に浮かぶ島であった。今は陸続きになりその面影がないが、奥島の地名が示すように「島」であったことを物語っている。信長が安土城を築かれた時には、後3面が内湖に囲まれていた。

 それにしても、第二次世界大戦が起こり、食料増産・農地造成が叫ばれるようになり、干拓工事を計画した連中は、総ての内湖を埋め立てるのは、気が引けたのであろう。兎に角、西の湖だけでも残されたことはよかった。

西の湖・大中干拓地を歩む
安土ウォーキング(桑實寺・観音正寺)

 今回は、観音正寺へ寄り道せず、地獄越え・猪子山へ向かった。

 繖山山系の琵琶湖と反対側にある石馬寺のある集落が望めた。3年前、JR能登川駅から五個荘側の繖山山系の山麓を辿り、近江鉄道五箇荘駅にウォークしたことがあった。この時、繖山・猪子山峰の中央付近の山麓に聖徳太子にまつわる石馬寺を訪れたことがあった。この寺号が、何か謂れがあるようなので調べたところ、「松の樹につないだ馬が、そばの池に沈み石と化しまったことから『石馬寺(いしばじ)』」と呼ばれるようになった。驚いた聖徳太子は、霊異を感じて、寺を建立されたとされている。

 近江には、奈良に次いで、聖徳太子創建の伝承をもつ寺院が多く見られる。今からおよそ1400年前、聖徳太子が霊地を求めて近江を訪れている。今回訪れた山系周辺には、石馬寺をはじめとして観音、正寺・安楽寺とが多いようだ。特に、安楽寺は、聖徳太子が近江に寺を建立された時、一番目に建った寺として伝承があるところで、私は一番気に入っているところだ。

五個荘ウォーキング
朝鮮人街道道標探し№2(近江八幡駅~能登川駅)


 尾根筋の左右の景色見ながら地獄越えより雨宮龍神社にやって来た。ここで昼食。雨乞いをするための神社であるので、龍神(水神を祀る)が祀られていた。神社拝殿の柱部分の装飾には龍神様が細かく彫られていた。

 雑木林や植林地が続くなだらかな尾根伝いを進んでいくと、猪子山(267m)の標識があった。まもなく上山天満天神社にやってきた。ここには登ってくるのが容易なのであろう、多くの人達に出会った。
 堂の奥にくりぬいた岩屋があり、その中の像高55cmほどの石造の観音が、安置されていた。地元の人々では北向岩屋十一面観音と呼ばれて親しまれてきた観音様のようだ。

北向岩十一面観音前から能登川方面から琵琶湖が良く見えた。

 この一帯は、40年ほど前に、琵琶湖湖畔には、大小いくつもの内湖があったところである。伊庭内湖、安土内湖そして西の湖、その北には、大きな大中の湖があった。今は干拓地となった。僅かに残された伊庭内湖が申し訳なさそうに残っていた。今は、「大中の湖」の名残から「大中」という地名が残り、大規模な農業が営まれている。


 JR安土駅から能登川駅間の歩んだ道程。

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