EU離脱と民主主義 2016/07/06
しがNPOセンター 代表理事
阿部圭宏
イギリスが国民投票を経て、EU離脱に向かうことになった。離脱の理由は、大きく2つあるとされている。1つが移民の急増である。もう1つが、国民国家を超えた官僚主導的なEUへの不満である。その意味で、EUは壮大なプロジェクトという面を持っているが、その危うい基盤の上に成り立ってきた仕組みでもある。グローバル時代に、いかに国民国家であろうとするかは、非常に難しい問題になっていて、TPPでも同様の構図が見える。
国民投票を断行したキャメロンの目論見とは違って、いわゆる「民意」は離脱を選択した。この結果を持って、国民投票はポミュリズムの極みだと批判する人たちがいるが、本当にそうだろうか。そもそも、国民投票に付さずとも、キャメロンがEUに残留し続ける判断をすることに何ら問題はなかったと言えるが、あえて国民投票という選択をした。キャメロンは国民投票を行ったことを後悔しているかもしれないが、その結果を素直に受け入れている。国民の不満があって、政治的な議論を必要とする場合に、国民投票は有効な手法だ。少なくとも国民の間に議論する機会を設けるようとする姿勢は、さすがに民主主義国家だと言えるだろう。
「我々は多数の民意を受けないとまず国会議員になれない。しかしそれによって得た任期においては多数の意見に従うわけではありません。私の判断でやる」「国民が冷静な議論などできるのか」「立憲主義を守ると国が滅ぶ」「そもそも国民に主権があることがおかしい」‥‥。こうした発言は、現政権のトップ、閣僚、与党幹部などのものであるが、多数をとる者はすでに好き放題という状況であり、イギリスの政治状況と比較するまでもなく、民主主義の根幹を揺るがす事態を生み出していると言ってよいだろう。
民主主義は多数派を単純に決めるという理解では不十分である。今回の国民投票でも示されたように、2分する議論を互いに戦わせながら問題の本質に近づけようとすることも民主主義を深化させる上で重要な視点である。憲法改正は、好むと好まざるに関わらず、国民投票という形態をとらなければできない。国民投票は究極の国民主権を表すものと言えるだろう。国民主権を否定する人たちが、憲法改正のための国民投票を行いたいと考えることの意味合いを我々はしっかりと考える必要がある。
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