2022年12月13日校外学習・彦根城
2022年12月14日

2022年12月13日校外学習・彦根城

43期地文

43期地文

• 草津市

滋賀県レイカディア大学に2020年10月に入学した43期地域文化学科の学生のブログです。 地域文化らしい授業、懇親活動等を主にアップしています。

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 元々予定されていた11月22日が先生のご都合で延期され、12月13日になりました。
 前夜の激しい雨で心配しましたが、朝には小止みになり午後には雨が上がって、良い校外学習の日になりました。
 小雨の中、集合場所二の丸駐車場前に予定時間に集まり、先生から当時の予定についての話があり、授業が始まりました。

昭和に再建され能舞台だけが当時のものである表御殿をみて、天主に向かいました。

これから先建物の中は土足禁止なので、ここで土足入れの袋を頂きました。

この登り坂は、これまでの安土城、小谷城に比べると緩やかですが、かなりきつい坂でした。

「彦根城は山城、平山城、平城か?」先生のこの辺りでの質問でした。

天秤櫓の前にある橋は元の「尾根を切って造った巨大な堀切であり、山城」とのことでした。
 先生の説明は「いかにして攻め寄せた敵を倒すか」の視点でされ、彦根城がこれまでと違って見えてきました。
 天秤櫓の中に入り、外からは見えない隠し射間については、外見上に配慮して天守同様外から見えないようにしたとの見方をされました。
 ここで興味深かったのは天秤櫓の鬼瓦の紋が井伊家のものとそうでないものが複数あるところ。【井伊井桁紋』と【上り藤の紋】が見えました。 上り藤の紋はどの武将の紋なのかわからないそうです。



 次いで太鼓櫓ですが、太鼓の音が向かう方向を考えると、使用目的が分からないとのことでした。

いよいよ天主です。 ひこちゃんも待っていましたが、師走の紅葉にも惹かれました。

天主は60度を超える急な階段で繋がれ、より速く動けるように周りを廊下とし、万一の時に備えていましたが、通常は誰も住んでいなかったとのことで、歴代藩主の甲冑が並んでいたとか。
 天主の後は黒門の方へ。 水源との話、守りの話をシッカリ聞きました。

このような石垣を見ると、山城との感を強くします。

昼食は城外に出て、つる亀庵でした。 伊吹在来種の新そばを使った天ぷらそばで美味しくいただきました。

 先生の午後の予定を説明を聞いています。

佐和口が彦根城の正門になった理由、櫓門の跡等の話を聞きました。

現在も一部残されている外堀です。

 350石の旧鈴木屋敷長屋門で説明を受けました。

本来の正門である京橋口から中堀を渡り、鏡石を確認。

 六千石の旧西郷屋敷では藩主と同様長屋門が厩としても使われ、門も大きなものでした。

大手門橋で内堀を渡り再び城内へ。

はっきりとわかる登り石垣の確認をしました。 起源は秀吉の朝鮮出兵の時に築城したお城にあるとのことでした。 彦根城築城にも朝鮮出兵に関係していた武将がいたとのこと。

先生の説明も分かりやすく良い校外授業になりました。

最後に集合写真です。

西田琴子さんの写真を使わせていただきました。 ありがとうございます。


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