冬の余呉湖一周
JR駅の情報コーナーに置かれていた『JRふれあいハイキング』のパンフレットに目を通してみると、『冬季の余呉湖を歩く』の企画がこの冬季に3回も開催されていた。余呉湖の湖畔を周遊するウォーキングはどうも人気があるようだ。
早速、3月上旬、友人を誘って余呉湖に向かった。余呉駅に降り立つと、脱色した白と黒の単調な色彩だけの情景が広がっていた。霧がまとい付くように山ひだを覆う雪景色は、より幻想にして神秘性を強めていた。
ここは冬期、県内指折りの積雪地帯である。一週間前は1m以上の根雪があったと駅員の方が話していた。出かける前から「しとしと」と雨が降り続き、泥沼となり歩きにくかった。道路は雨で雪が融けたのか、除雪されたのか定かでないが、道路は長々と黒々していた。余呉湖を包み込んだ北陸特有の曇天の世界は、言い知れない風情があった。
この湖北の情景を描いた水上勉著の『湖の琴』を思い出した。余呉湖より更に北の日本海岸の暗さで育った水上勉は、幼い頃から厳しい自然のなで育ち、この北国の風土により独特の感性が培われようだ。
著者は「男女の悲哀を描くことによって、以前、訪れた余呉の湖の沈んだ哀しい風景を描きたかっただけである。それは小説家だけが、抱き取ることの出来る悦びであったかもしれない」と述べている。「さくも宇吉もすべて絵空ごと」と語っている。水上勉の世界は男女の悲哀に目が行きがちだが、素朴な近江の風景画を言葉で描こうとしたように思えた。私は、水上勉の言葉の目線を意識しながら余呉湖を一周した。

「滋賀県はどこにあるの」と尋ねられても「知らない」と答える人がいる。でも、琵琶湖は誰もが知っているが、北にひと山越えた余呉湖を知っている人はほんのわずか。
余呉湖は三方を低い山で囲まれたひっそりとたたずむ湖である。湖面が鏡のようであるので、別名「鏡湖」とも呼ばれている。この静けさと墨絵のような情景を眺めていると、夢をはぐくみ憧れから「天女の羽衣」や冬場曇天が続く気候を反映した物悲しい龍神・菊石姫の物語が生まれてくるのは何となく分るような気がしてきた。閉ざされた長い冬、親から子に孫と語り伝えられ、これらの民話が今に伝わってきているのだろう。

北に福井県、東部を岐阜県に面した山間部へとよく出かける私にとっては、昔から余呉湖が何かと惹かれる湖であった。この湖は周囲約6.4kmと大きくもなく、小さくもない頃合の大きさ湖は幻想をはらんだ心を揺さぶる神秘が漂うところだ。
案内のガイドさんに連れられて、時計と反対回りに湖畔を歩いていくと、「天女の衣掛柳」の表示板のある大きな木(アカメヤナギ)があった。天女がこの木に羽衣をかけたといういわれがある。
「天女が木に掛けた羽衣がなくなり、天に帰れず伊香刀美(いかとみ)の妻となって二男二女を生んだ。その子孫が伊香地方を開発した祖と伝えられる。また、菅原道真がその子であると伝える話もある」とガイドさんの説明があった。
「だから、この辺りの女の人は天女のように美しい」と冗談だか、本当だか分らないが自慢げに話していた。

ここ余呉湖は、関西で屈指のワカサギ釣りのポイントがある。湖に突き出した釣り専用の桟橋には、多くの太公望が釣り糸を垂らしていた。この寒空に「どうして釣りなんか」と口にはださなかったが、心で思いながら通り過ぎていった。多分、釣り師は、我々の一団を見て「どうして雪の中歩いているの」と返答してくるだろう。
小雨を避けるため傘をさして川並集落へと向かった。途中、誰とも出会うことがなかった。雨が降っているので出歩いている人が少ないのでなく、元々、冬場には地元の人は出歩かないのであろう。それにしても、桟橋には遠くからやって来た人で溢れ返っていた。

森林に覆われた暗いところにやって来た。菊石姫・竜神伝説がある縄がかけられ祀られている「蛇の枕石」である。
ガイドの説明によると「ここには、龍に身を変えた菊石姫蛇の伝説がある。日照りに困った村人のために、湖に身を投じて龍になった姫の話である。姫は、龍になるときに片眼を差し出し、のちに残されたもう一方の眼も取り上げられてしまう」と言う悲しい言い伝えがある。
この話を聴きながら、目を取られしまう民話を絵にした三橋節子「 余呉の天女」 「三井の晩鐘」「鬼子母神」「湖の伝説」などの絵画が思い出した。近江を愛した彼女は、35才で亡くなるまで絵を描くことに情熱を燃やした。まだ幼かった我が子をたびたび登場させ、子どもたちを残して先立つであろう母としての深い思いが込められた画像が頭をよぎった。そして、『湖の琴』の最後、さくと宇吉が余呉湖に沈んでいった場所が、ここであった。ここは、より物悲しさが満ちていた。
水上勉は、『湖の琴』を結ぶにあたって「さくの死について真否のほどを疑い、世の物語作者の常なる絵空事と嘲られる読者があれば、私はただ晩秋の夕暮れ時、余呉の湖畔に立ちたまえというしかない」として終わっている。
国民宿舎余呉荘では、獲り立てのわかさぎを天ぷらにした田舎料理で一杯の酒を頂きながら、郷愁に満ちたこの地をいとおしんだ。
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