排除から包摂へ
2018年の新春を迎えました。本コラムのご愛顧ありがとうございます。本年も引き続きよろしくお願いいたします。
しがNPOセンター
代表理事 阿部 圭宏
排除から包摂へ
昨年1年を振り返って見て、皆さんはどのような感想をお持ちだろうか。
まず、相変わらずの日本や日本人礼賛ブームである。日本人すごいなどと持ち上げるテレビ番組が数多く流され、本屋へ行くと、そうした礼賛本が平積みされている。しかし、その礼賛内容は、誇張されたものが多く、中にはフェイクもあると言われている。本当にすごい国ならば、ブラック企業が社会問題化することもなく、電通やNHKで起こった過労死自殺などが起こるはずもない。労働生産性に至っては、G7の中で最下位だという報道にも驚きを隠せない。
日本礼賛と対をなすように、派手な装丁をした嫌韓本や嫌中本もここぞ狭しと並べられているし、ネットでの非道中傷にも多くのアクセスが集まっている。サンフランシスコ市の慰安婦像に関しても、公聴会での右派団体の言動がその決定に大きな影響を与えたと言われているし、相手を非難するだけで物事は解決するわけでなく、冷静に世界を見る目を持たないことは、世界での孤立を招くのではないかと心配にもなる。
安倍一強政治が続く中で、多くの問題が顕在化している。森友加計問題では、行政の公平性が歪められたとされるし、首相と親しいジャーナリストの準強姦事件の揉み消し問題にも疑念が出されている。アメリカと並ぶ北朝鮮への圧力一辺倒の姿勢にも不安がつきまとう。あわせて、沖縄に対する政権の姿勢も信じがたい。辺野古移転を強行し、沖縄に基地負担を押し付けるやり方に、沖縄に対する思いやりが見られない。こうした政府の強権的な態度に追従(ついしょう)する人たちが後を絶たない。高江での米軍ヘリ墜落や普天間での小学校への米軍ヘリ窓落下など、実際に被害が出ているにもかかわらず、当の小学校や教育委員会に誹謗中傷の電話が相次いでいると言う。
こうした弱者への配慮を欠いた言説は、この国の中に蔓延している。生活保護に対する姿勢もそうだし、相撲協会での暴力事件についても言える。
他人への思いやりというのが日本人の美徳だと信じている人は多いと思われるが、本当にそうだろうか。民族差別、弱者への攻撃、強者への慮りなどが、たとえ一部の人の行動だとしても、そこには根本的に他人に対する敬愛という姿勢が決定的に欠けているし、誹謗中傷に対する怒りや非難の声が大きくならない日本の今の姿がある。
自律する「美しい国」を目指すのであれば、こうした日本の現状にしっかりと向き合い、排除や孤立を生まない社会構造をつくることが必要である。「排除」から「包摂」を基本に、排除の論理で進もうとする人たちに対して、しっかりと声を上げていくことによってしか日本の信頼は回復しないと思われる。
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