草津ウォーキング
2009年03月14日

草津ウォーキング

N

nonio

• 野洲市

詳細

日付 2009年2月26日
距離   8.0km
タイムコース  JR草津駅  9:10   草津宿本陣 10:15   草津宿街道交流館10:30         
          立木神社  10:50  若宮八幡宮 11:10   矢橋港跡12:15~12:40          
          JR南草津駅 14:30  

草津ウォーキング地図

 今回のウォーキングは、江戸時代にタイムスリップした旅になりました。東海道の草津宿から、矢橋(やばせ)港を目指しました。 矢橋街道については、ウォーキングの友人が、当時の道筋を地図に書き込んでくれましたので、忠実に辿ってみました。

  草津駅出発点       南草津到着点

 JR草津駅改札の東口を9:10出発しました。東海道線と平行に走っている商店街を通りぬけて、天井川である旧草津川のトンネルを越えると、そこは、東海道と中山道が分岐する草津追分でした。「右東海道いせみち、左中山道美のぢ」の石碑が立っていました。ここは、東海道52番目の宿場町で、中山道との合流点として重要な位置を占めていました。とりわけ、貫目改所を置き、街道を往来する荷物の荷量を検査するとともに、一種の関所的な役割を果たしていました。
草津宿を利用する旅人は、天皇、大名、文人などを含め色々な人が行き交い繁栄を極めたところです。
 道標の反対側には、高札場が置かれ、毎日数枚の高札が掲げられました。道中奉行からの草津宿の伝馬(てんま)・宿屋・飛脚、また草津川に関する道路などの注意書きを掲げては、 旅人に周知徹底を図っていました。  

                       草津追分 東海道・中山道の分岐点

 徳川幕府による参勤交代の始まった年に、田中九蔵、田中七左衛門本陣職が任命されました。江戸時代を通じてこの二本陣が草津宿の中核となり、脇本陣、そして多くの旅籠屋が軒を連ねていました。    

 朝早くから、草津宿本陣の門を潜りました。出迎えてくれたのは、田中七左衛門(しちざえもん)の子孫の"田中さん”でした。2人だけでしたが、丁寧に案内をしてもらいました。
 まず、表門の白洲を通り式台を上がると、玄関広間から、順次説明を受けました。

 多くの”関礼”が壁にかけられていました。当時、大名、旗本等は、”自分の名前を書いた関札”を持参し、本陣の出入り口に、掲げることを義務付けられていました。無論、自分の名前には敬称をつけていません。ただし、公家の方は、敬称をつけていたようです。
名前の最後に、”宿”・“泊”・”休”の3種類文字が明記され、”材料・料理人持込の宿泊”、”本陣まかないの泊り”、”昼食のみ”を判るようにしたものです。この関札は、 大福帳には、吉良上野介・浅野内匠頭の名前も並んで書かれていました。若くして死んでいった新撰組の方もあり、宿泊人の氏名を書いた宿札は多く保存されていました。その中には、ここに宿泊中急死して、70日も喪に伏せた日向国佐土原藩主・島津忠徹(ただゆき)についての内密処理の秘話もありました。お礼金は、かなりの金額でした。

宿場で勝ち合わないようにするための工夫なのです。実際、

大名の宿泊地は定まっておらず、関札をみてはよく変更したようです。

 母屋には、40室の部屋があり、建物の中央に長い畳廊下があり、左右に従者の部屋を配し、一番奥には、上段の間があり、大名の休泊に用いられました。框により、ほかより一段高くし、天井を漆塗り格天井が施されていました。 一段高くしたのは、床からの敵の防御のためで、隣の鞘の間には、警護の侍が待機していたと説明されていました。万が一の場合には、裏から逃げることもできましたが、そのようなことは起こらなかったようです。

 続いて、草津宿街道交流館に立ち寄りました。
  草津宿本陣       草津宿街道交流館        立木神社 (写真拡大はクリック)

旅の衣装の展示や駕籠かきなどを体験できるコーナーや浮世絵摺り体験コーナーもありましたが、ここで目を引いたのは、草津川の越し人足のDVDです。草津川は幅の狭い川ですが、一度雨が降ると急に水かさが増え、悪い川越し人足が、荒稼ぎをしていました。当時の草津宿周辺の渡しの様子を詳しく伝えていました。

 更に、立木神社を経由し、 東海道を南に進みました。

 枝道の矢橋(やばせ)街道に着きました。道標が、瓢箪の商いをしている瓢泉堂の店前にがありました。

 道標には、 「 右やはせ道 」は大きい字で彫られていましたが、建てられて210年経ち、下の字が崩れ始め、分りにくくなっていました。後で調かつては、同所に今でも老舗の「姥が餅屋」あったところです。

べてみますと、「 是より廿五丁 大津へ舟わたし 」 と刻まれているらしい。

丁とは、尺貫法における距離の単位で、1丁は、約109メートルです、廿とは、

これは「十」を二個組み合わせた合字、二十のことで、

廿五丁は、2.7kmです。つまり、「琵琶湖方面へ約3km行けば、大津まで舟で」との案内がされていたのです。

「 瀬田に廻ろか矢橋へ下ろか 此処が思案の乳母が餅 」と俗謡はここで唄ったものです。

 当時、どっちに行こうかながら、旅する人達は、茶店の縁台に腰をおろして、一杯の緑茶と乳母の乳の形をした姥ヶ餅を食べながら、しばし一服していたのでしょう。いずれにしても、ここは、東海道と矢橋街道の重要な分岐点になっていました。 

思案し

 姥が餅の言われは、六角義賢(ろっかくよしかた)の子孫が討ち滅ぼされた時、その幼児を育てるために乳母(めのと)が餅を作って売ったことに由来しているようです。昔は「乳母(うば)が餅」とも書いたようです。

信長に倒された

姥が餅は、

浮世絵に描かれただけではなく、徳川家康、芭蕉も餅を食べ、

誰からともなく、この餅を姥ヶ餅として広がっていきました。

 右折し、狭い矢橋街道を通って直進すると、東海道線で寸断され琵琶湖方面にいけなくなりました。地図を取り出し、東海道線のガードをくぐる箇所を確認して、迂回して車道を伝って反対側に出ました。そして、左手に若宮八満宮がありました。

矢橋街道の道標      若宮八満宮の石碑 (写真拡大はクリック)

 更に、新興住宅地を通り抜けて、東海道線沿いの道路を道なりに進んでいくと、正光寺の石柱のある建物がありました。その左側に、草津歴史街道の案内板があり、当時の枝道の矢橋街道について語られていました。   

 江戸時代、「 勢多へ回れば三里の回りござれ矢橋の舟にのろ 」 と、歌われたように、勢多(瀬田橋)を経由の陸路に比べ、矢橋港から湖上50町(5.5キロ)、早かったようで、先を急ぐ旅人はこの矢橋港から大津まで帆船を利用した、といわれています。 

  正光寺周辺 (写真拡大はクリック)

 住宅街を進んでいくと、

右側は、広々とした農地が見え、初めて琵琶湖の対岸にある比叡山が見え出しました。左側には、光泉中・高校があるところです。 川の下橋を渡り、左にカーブして行くと、県道42号にでました。矢橋中央交差点を直進し、少し先で県道から離れ、左の脇道に入っていきました。
交差点を過ぎて進むと、両脇は住宅街で、その先には、鞭崎神社御旅所の石柱と小さな社があり、そのまま進むと、矢橋公園に出ました。
 この道標から矢橋公園までの矢橋街道には、草津歴史街道 矢橋道の案内板が2~3ケあるだけでした。古い農家の屋敷が散見されますが、新興住宅街に様変わりし、街道には、昔の面影も薄らいだ一般道路になっていました。当時、大勢の旅人が往来していた街道を尋ねてくる風流な人も少なくなったのか、案内のルート地図もありませんでした。確かに、草津駅周辺では、草津宿の保存がされ整備もされていました。一歩奥に入ると少し落差があるように感じました。

光泉中・高校前の展望  県道からの分かれ道   鞭嵜八幡宮 (写真拡大はクリック)



 古くから矢橋港は、東海道と大津とを結ぶところとして栄え、近江八景「矢橋の帰帆」として知られてきました。しかし、港付近は埋め立てられ、波止場の石垣が復元されていました。矢橋の帰帆

栄えた矢橋港も無く、矢橋帰帆島を見て 蕪村はどう詠うのであろう。

 時代の趨勢には勝てず、明治になり鉄道の開通にともない、矢橋港は次第に見向きもされなくなりました。1846年に建てられた常夜灯が残るのみです。尚、古木の松は、マツクイムシにやられたのか、無残な姿のまま放置されていました。港跡の西には、人工島「矢橋帰帆島」が作られ、歌川広重が描いた景色は望むことは出来なかった。

公園の中に、「 菜の花や みな出はらひし 矢走舟 」という、蕪村が詠んだ句碑がありました。

 比叡山を背景にして、乗船の時は騒々しいかったが、舟がでてしまうと菜の花だけが風に揺れて、のどかな雰囲気を醸し出している風景を詠ったものです。

 「 菜の花や  いくてさまたげ 帰帆島  」 とでも言うのかなー。

 波止場の石垣を復元       常夜灯          蕪村の句碑  (写真拡大はクリック)

比叡山を望む   

矢橋港付近から

 栄枯盛衰は世の常と申せ、昔日、何隻も帆船が連なっている琵琶湖(歌川広重の近江八景 矢橋帰帆)を想い浮かべながら、無量感に襲われました。
後日、どうしても、琵琶湖を視なければと想い、帰帆南橋まで歩いてみました。

矢橋街道から無粋な人工島を横目に見ながら、琵琶湖が一望できる

                    帰帆南橋から、琵琶湖を望む

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