賎ヶ岳を訪ねる
2011年09月11日

賎ヶ岳を訪ねる

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nonio

• 野洲市

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 8月27日、賎ヶ岳古戦場. 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課が主催する「 近江の城郭~歴史の舞台となった城」の連続講座があった。レイカの仲間に誘われ、「 賎ヶ岳合戦と城郭」に参加した。 JR木ノ本駅の交遊館に赴くと90名近くの歴史好きの人達が集まっていた。一時間ほどの講義を受け、早々に、東の登山口大音からリフトに運ばれて賎ヶ岳に向かった。
山頂から余呉湖を左に見ながら、尾根づたいに、大岩山砦跡・岩崎山砦跡を経てJR余呉駅まで散策し、楽しい1日を過ごした。


 余呉町との境界にある賎ヶ岳(標高422m)は、琵琶湖八景の一つに数えられる風光明媚なところである。眼下には湖北の琵琶湖が広がり、芝木好子長編小説「群青の湖」の舞台となった菅浦のある半島がせり出していた。その沖に、竹生島がみえた。群青色の奥琵琶湖菅浦
何回来ても、この風景を眺めていると、その都度新たな感動があり、この美しさに心を奪われ、しばし佇んでいた。

 1582年、本能寺で織田信長が亡くなり、主導権争いが起こった。信長の三男信孝を推す柴田勝家と三法師(秀信)を推す柴田秀吉が対立、賎ヶ岳周辺で雌雄を決する戦いとなった。

 秀吉は、田上山に本陣を置き、ここ賎ヶ岳などに、6万人を動員し陣城を配した。一方、勝家は、玄蕃尾城の本陣を構え、行市山などに3万人を動員し両陣営が対峙したところである。

 昨年、行市山から賎ヶ岳を眺めたことがあった。余呉トレイル柳ケ瀬山・行市山

今回は、賎ヶ岳より眼下に余呉湖を見下ろしながら、行市山(659.7m)頂上、玄蕃尾城に続く山並みを眼で追い、戦国時代へと思いを馳せていった。

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