溺れる虫達の一本の藁
2025年08月17日

溺れる虫達の一本の藁

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nonio

• 野洲市

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畑は私の足音を聞いて育っている。煮え滾るような猛暑の中、畑は「まだか、まだか」と水音を待っているかのようだった。
ふと足を止め、貯水槽を覗き込むと、半ば沈みかけた一枚の枯葉にしがみつくようにして、数匹の虫が必死に水面に留まろうとしていた。目を凝らして見れば、それは畑を荒らす害虫たちだった。普段では、ためらわず指で捻りつぶしているところだ。
その日は、ただ見つめるだけだった。

数日後、再び貯水槽を覗き込むと、虫たちはまだ生きていた。
微かに脚を動かし、辛うじて身を起こして水面に腹ばいに浮いている。まだいけそうだ。電車事故で死に直面しながら、小動物の死に「死への親しみ」を感じた『城の崎にて』の志賀直哉の心境が、ふと胸によぎる。

6日後の早朝、さすがに皆沈みかけているようだった。そう思った私は、近くに落ちていた一本の藁を伸ばしてやった。すると、藁の先を伝って、虫たちはぞろぞろと這い上がってきた。カンダタが我欲のために救いの糸を断ち切った悲劇とは異なり、一匹も欠けることなく命を引き上げてやった。
草むらにそっと置いてやると、安堵したのか少しもぞもぞしていた。が、そしらぬ顔をして、瞬く間に飛び去っていった。

一枚の写真から、こんなにも深く命について考えることができるとは。

詩仙堂の入り口に掲げられていた「生死」と書かれた言葉が、いまだに忘れられない。詩仙堂/5歳少女が綴ったことばです。

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