平松の美し松
2011年07月19日

平松の美し松

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nonio

• 野洲市

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 7月上旬、蒸し暑いさなか、汗を噴出しながら東海道を2人で歩いていた。石部宿を出て柑子袋(こうじふくろ)を経て平松に至るところで、「天然記念物うつくしまつ自生地0.9km」の表示板を見かけた。
 これから先、夏見・三雲から水口城跡まで行く予定であった。気持ちは、「美し松の自生地」に向かっていた。が、距離があり過ぎ、道草が出来なかった。

 日を改めて、滋賀県の湖南市(旧甲賀郡甲西町)の美松山に自生している国指定の天然記念物(1921年指定)の「平松のウツクシマツ」に一人でやって来た。ここは、松の名所として知られ、古来より街道を旅する人達には、注目されてきたところであった。

 日本人の旅好きは、現代に始まったことではないが、街道や宿が整備された江戸時代から飛躍的に旅が行われ、ガイドブックとして「東海道名所図会」「伊勢参宮名所図会」が刊行された。

 東海道名所図会によると、
「 美松(うつくしまつ)と号することは、松の葉細く艶(つや)ありて、四時変ぜず蒼々(青々)たり。松の高さ小大あり。大樹は根より四、五尺までは、株(みき)つねの雄松(おまつ)のごとし。それより枝々数十にわかれ、近く視れば蓋(きぬがさ・衣笠)のごとく、遠く眺めば側柏(あすなろ・ビバ)に似たり。(略)隣山はつねの松にして、美松一株もなし。また他所へ移し、あるいは鉢植などするに、程なく枯れて育せず。和漢松の部類を考うるに、いまだこの類を聞かず。遠近こゝに来たって初めて観る人、賞嘆せずということなし。これ風土の奇なり。」と記されてある。 

 特異な松の形を訪れることは、旅人にとって、自慢話のひとつになり、記事にされたのであろう。いすれにしても、珍しい木を持って帰る「やから」はいつの時代にもいるものだ。
 歌川広重の浮世絵「東海道五十三次 水口」には「平松のウツクシマツ」の様子が描かれている。坂道を行く人馬を中央に配し、その左右の山の斜面に特異な樹形の松が見られ、この浮世絵から当時の様子が窺える。

 このウツクシマツについては、もっと古くから知られていた。(「滋賀の伝説」編集滋賀県小学校教育研究会国語部会)
 平安時代、藤原氏が全盛の頃、頼平の「平」と松尾大社の「松」から地名を平松と言い、この珍しい松を「ウツクシマツ」と名づけられた伝説がつたわっている。 
昔から「ウツクシマツ」は松尾大社の神木としてあがめられ、伐採を禁じられ大事にされてきた。 

 湖南市の南西部、標高226.6mの美松山の南西斜面一帯に「美し松」が約200本の大小のアカマツの変種の美松が群生している。ウツクシマツは、一本一本を眺めると、主幹がなく、1本の根から枝が地表近くで放射状に分かれ、樹形は傘を逆さにしたような特異なかたちである。この松、ウツクシマツと呼ばれるのは、松そのもののかたちが美しいと言うより、ウツクシマツだけの「純林」全体が美しくしい。緑の林床から、赤っぽい樹幹は奇妙な樹形をし、素直に空に伸びている様が見事であり、独特の世界が広がっていた。この鮮やかな緑の空間で、ゆっくりと時間を過ごした。


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