滋賀の印象深いブナ林
2011年08月15日

滋賀の印象深いブナ林

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nonio

• 野洲市

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 私は滋賀の山々を訪ね、森や林を見てきたが、やはりブナ林は、懐かしさを覚える。なぜ、これほどまで自然と心がなごむのか・・・・。
 ブナ林に入ると、人工林の「じめっと」した薄暗さと違って、木々の葉がそよぐ音があり、幾重にも重なりあった木々からの木漏れ日が射し込んでくる。
  射しこんで来る光には濃淡があり、規則性があるようでない“1/ f ”(このf は、周波数を表す記号なのだが、“1/ f ”は周波数が一定でないことを表す)の「ゆらぎ」がある。地面に映された陰影が微妙に「さらさら」と揺れる。そのリズムと言うのか、どのような周期でゆらいでいくのかわからない「ゆらぎ」に身を委ねていると不思議に安堵感が生まれる。

 普段の生活では、この心地よい1/f ゆらぎを感じ取れない。が、山に来ると、五感が研ぎ澄まされ、このゆらぎがいたるところに満ち溢れていることが分ってくる。太陽の光がゆらぎ、風もゆらぎ、気温もゆらぎ・・・。

 谷から吹き上げてくるゆらいだ風は、熱くなった肌には真に心地よい。人工的に管理された空調システムのよって一定に保たれ空間は、身体には快適かも知れないが、自然のゆらぎが発する心がなごむまでにはならない。小川のせせらぎが奏でるリズムも同様、人間の体に沁みこんだゆらぎである。だから、人間が自ずと共感するのであろう。

 ゆらぎは、そもそも自然界に存在するもので、自然界の一部である人間も本来備わっているリズムでもある。我々が、この「ゆらぎ」の世界に住んでいたのだが、すでに忘れかけた感覚にもなっている。山とか自然に触れると、呼び起こされる特別の感覚である。

 私は、自然界にあるこの「ゆらぎ」を求めているようだ。だから、山に訪れるのかもしれない。

 実際に森に入り、「ゆらぎ」が実に多くの感覚や感情が呼び起こし、五感が研ぎ澄まされる。森など自然に働きかけるとモノでなく、自然から心の働きかけがある。
ブナ林の中に居るだけで、「穏やかな気持ち」から「厳かな気持ち」、そして「畏敬の念」が宿って来る。

滋賀県の様々な様子をしたブナ林を紹介しょう。

 滋賀県のブナ林で印象深いところは、滋賀県最北部に位置する山深いところに安蔵山(900.1m)と言う山がある。この山に挑戦する人は滅多にいない秘境の山だ。山頂上から南々東に向かって真っ直ぐ張り出している主尾根を辿っていくと、手付かずのミズナラとブナ林の原生林が出現した。 
 やはり、ブナ林は、春の芽吹きした時期が最も華やかである。

           安蔵山の芽吹きした最も華やかな時期

 JR木之本駅、山手方向に双耳峰の横山岳が見られるが、西峰から東峰を少し下って行くとブナの樹林帯となった。近江の山でこれほど広い範囲のブナ林はないとも言われている。尾根は一面ブナの森で、幹が細くて若い森だ。既に季節が進み、葉っぱをつけている木は全くなく冬支度となっていた。のびやかなブナの幹は、天を指すようにすらりと伸び、すがすがしい姿になって、林立していた。明るくていい感じだ。林床には、この落葉で埋め尽くされイワカガミが「ぬくぬく」とはぐくまれていた。ブナの落ち葉のクッションが効いた山道を、他愛無い話をしながら下山していった。

 幹の細いブナがところせましと育っていた。今は冬で一休みをしているが、春になると若木がお互い太陽に向かって、枝葉を競り合い懸命に張り合う。これから何年もかかって自然淘汰され、強いものが、勝ち残り大木のブナ林帯を形成するのであろう。既に競争に負け、何本かの枯れ木もみかけられ、より一層このように感じ取れた。                            

               横山岳の若木のブナ樹林帯 

 山並みは滋賀県北西部最深部三重嶽から北尾根を通り、大日尾根から大御影山と続いている。 P943mからP889にはブナが、はいつくばるように密集して林立。

 この辺りは豪雪地帯、ブナは雪の重みに絶えかねて、へし曲げられて生きていた。生長するたびに、雪に幹はねじまげられ、再び立ち上がりを繰り返し、ブナの「すらっと」した樹形から、想像しがたい醜い姿になっていた。だが、どんなに厳しい環境にも、耐えて生きていける強い樹なのだ。

               滋賀県北西部最深部の三重嶽のブナ

 急な滑りやすい坂を降りていくと、林道と合流した。ここが「ぬけど」。何か意味がありそうな地名だ。抜土は福井県美浜町へ繋がる粟柄谷林道と滋賀県の原山林道が結ばれたとこである。河内谷林道にも繋がっている。ここは、林道の要になっていた。 ここにやってきた時には、本降りの雨となった。

 ブナの保水力は他の樹に比べて著しく大きいことはよく知られている。しかし、ブナの樹の構造自体が雨を集めやすくなっていることを知っている人は意外に少ない。 
雨水を受け止め幹を流れる樹幹流が観られ、そのしずくが根元に点々と注いでいた。

                 ブナの雨水の樹幹流

 武奈ヶ嶽・三重嶽について、草川啓三氏は語っている。
「滋賀県の山の番付なるものを作るとすれば、この三重岳は三役ぐらいには絶対に入れたい山である。‥‥千メートル以下でまっさきに思い出すのは三重岳だ」と褒め称えている。この山は滋賀県湖北の県境にあるゆったり広がる頂上から四方に大きな尾根を延ばし、谷は険しく切り込んでいて、標高千メートルに満たないのに、近寄りがたいような雰囲気を抱かせた孤高の山である。 山岳雑誌にも当然案内されるべき山である。が、山と渓谷社の分県登山ガイド(全47巻)の「滋賀県の山」には、武奈ヶ嶽・三重嶽(さんじょうだけ:さんじょうがだけ)が記載されていない。地理的にも奥深くアクセスも悪く訪れる登山者も少ない。

この奥深いブナ林では、 キツツキの仲間の鳥達の仕業であろうか、点々と巣穴がみられた。

                ブナの木にキツツキの巣穴

 廃業したリフトがあるスキー場のゲレンデを登って行き、さらに薄い道跡を進んでいくと、つづら折れの斜面となり樹林帯へと入っていった。西山林道と寒風との分岐の標識まで来ると、後は、よく踏み込まれた山道が寒風の標識まで連れて行ってくれた。この西山林道を下ると、メタセコイア並木・マキノ高原へと続いている散策路に通じている。

 さらに高度を上げていくと道が緩やかになり、見事なブナ林となった。深く掘れこんだ山道には落ち葉が溜まり、絨緞を敷き詰められていた。ブナの木がバックの空のブルーにひときわ映えた。すがすがしいブナ林の越しの青空が見事であった。
寒風まで一帯のブナ林の規模が小さいが、ここが、私の最も気に入っているブナ林である。

           寒風のブルーの空にひときわ映えたブナ林

 椿坂峠の近くの大黒山の登山路入口から少し登っていったところに、ひっそりとブナの巨樹が生き抜いてきた。 ここまで、生きながらえてきた巨木には、自然と頭(こうべ)をたれ、手を合わせてしまう。風雪に耐え凌いだ古木には、生命力を感じる。植物であるが、我々人間と同じく限りある命に対して、特別の崇め敬う心が宿り、神聖なものを感じ取ってしまう。

 積雪期、茶褐色の芽鱗(がりん)が、5月中頃になると、芽吹きし、萌黄色の葉が、日の光を吸い上げ、一挙にみずみずしさを増していく。夏には濃い緑となり、ブナの葉に遮られた木陰は、とても爽やかである。秋から冬にかけて葉を落として眠りにつく。何百年も繰り返され、今に至っている。こんな大木に出会えるときが、森を歩く者にとって無上の喜びである。

 何百年生きてきたか分らない老木が語ってくる話に耳を傾けてみたい。「人間がこの地球上にいなくなっても我々(木々)はあり続けるが、我々が消滅すれば、人間の存在すらおぼつかない」と厳しく言い放つだろう。

 すんだ緑の空気を吸いながら、心の底まで洗われてみたい。

                椿坂峠の近くの大黒山にあるブナの巨木

 椿坂峠より北国街道国道(365線)北上し、栃ノ木峠近くに音波山がある。上谷山から三国岳、そして夜叉が池がある三周ケ岳と繋がっている。この山並みに傷ついたブナの巨木があった。
 左の枝が何らかの原因で折れ、その反対側の枝がバランスを崩したのであろう。大枝が倒れてしまい痛々しい姿をさらしていた。

 この大木はまだ生きていたが、この辺りの林冠が「ぽっかり」と開いたようで、太陽の光が差し込み、この一帯が妙に明るかった。それまで日陰で待機していた若木がこれから成長し、世代交代がこれから始まるのであろうか…。長年生き抜いていた大木にも寿命があることを眼にして、悲しかった。
これも自然の摂理なのだと納得させた。

                 傷ついた巨木橅(ブナ)

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