鈴鹿「千種街道」シデの並木道
千種街道は近江の甲津畑から伊勢の千種を結んだ古道。はだかる鈴鹿山脈の杉峠・根の平峠を越えていかなければならない長大な街道である。
この街道は、杣人・僧侶・武士・商人・鉱夫とあらゆる階層の人々が、各時代に往来してきた。 戦国時代には敵陣を攻める織田信長が登場し、近代になると、鉱石を背負い、山道を何時間もかけて鉱夫が働いていた。 今では、人の行き来もぱったり無くなり、わずかに登山で訪れる人だけとなった。
甲津畑登山口から2時間程度くねくねと、人の住んでいた気配がするフジキリ谷の上流まで進んだ。すると、奥深い山中に、置き忘れられたような巨木群。街道沿いの両脇に350mにわたってミズナラ・カエデ類・クマシデなど、いずれも古木が出迎えてくれた。「シデの並木道」と呼ばれるところ。
並木道といえば、植樹されたように思われるが、刈られず運よく生き延びた見事な自然林である。
でも、時があまりにも経ち、樹々の命も尽きはじめてきたのであろうか、主幹も腐りかかり、倒木も長らくそのままだ。
荒れ放題というか、確実に人のかかわりから放たれ、本来の自然の姿に戻りつつあった。
そんな中、苔生して古色蒼然としたミズナラの巨樹があった。枝の広さが一反ほどあることから「一反ぼうそう」と地元の人達が呼んでいる。
この近くに、蓮如上人ゆかりのイヌシデの巨樹があった。
イヌシデの樹皮は灰白色でなめらかであり、縦に網目模様ができる美しい。が、年老いた木肌は気持ち悪いほど凹凸ができ、幹は筋状のシワが入り節くれだっていた。
大正2年、滋賀県が発行した 「近江名木誌」(野洲図書館)に、当時の県内の名木・巨樹の調査が記され、その中に、見風乾(周囲十二尺・樹高十三間・樹齢六百年)として、この樹が紹介されていた。室町時代、布教で千種街道を通過していた蓮如上人が敵に襲われ、難を逃れたとの記載もされていた。
樹齢600年から勘定して、約100年経た現在、700年の樹齢になっていた。
今なお昔の面影を残している樹々の姿から、積み重なった歴史のひだを思い返すことができ、何より、人の寿命よりかなり長い視点から、時の流れを感じとれる山行であった。
「シデの並木道」

朽ちる寸前のミズナラ

長らく放置されている倒木

一反ぼうそう

蓮如上人ゆかりのイヌシデ(2009年ダイジョウ山の時に撮影)

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