中山道随一の絶景磨針峠
今年3月31日、番場宿から鳥居本宿の山間で、滋賀県彦根市鳥居本町の磨針峠を通過したことがあった。この時、「すりはり」と呼ぶ峠があることを知った。
第2回目滋賀県中山道(JR醒ヶ井駅~鳥居本駅)
ここは、「木曽路名所図会」で、『此嶺の茶店より見下せば 眼下に磯崎、筑摩の祠、朝妻の里、長浜、はるかに向ふを見れば 竹生嶋、澳嶋、多景嶋、湖水洋々たる中に行きかふ船見へて風色の美観なり…』と案内された中山道随一の絶景を誇るところであった。
磨針峠を描いた歌川広重の浮世絵では、籠から出てきて一服する人、ござを敷いた二人連れなどがしばしの憩いをとっている。眼下には松林に囲まれた内湖に、一隻の帆船が浮かび、その背後に琵琶湖が描かれている。多くの旅人が望湖堂から琵琶湖を一望しながら、西から東へ行く旅人は これから始まろうとする山中の長い道中を思案したり、東からやってきた旅人は、京都に近づき、「ほっと」した息遣いが伝わってくるようだ。
近江路では旅人が琵琶湖を目にできなかったが、ここでは眺めをほしいままにできるところであった。参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節も自然と立ち寄った。これに困った鳥居本宿や番場宿の両本陣は、お客をとられ、望湖堂に本陣まがいの営業を謹むようにと奉行に訴えたというぐらい人で賑わったと言われている。

磨針峠について「おばあさんが石で斧を研ぐ姿」と「若い僧」の絵画を観ることがあった。この絵に何の意味が込められているのか全く分からず、気にもかけなかった。
たまたま、今年7月、元滋賀県立近代美術館長石丸正運氏により、優れた業績を残してきた滋賀県ゆかりの近代画家3人について拝聴する事があった。その中で磨針峠に伝わる伝説を描いた小倉遊亀の作品が紹介された。彼女は、戦争中でこれから何年か筆をとることができないとの思いで描き、自分自身の画道精進の決意を込めたと言われている作品であることを聞かされ、磨針峠について興味を持ってしまった。

若い僧が厳しい修行に耐えかねて故郷に戻る途中、日暮れ時に峠にさしかかり、山中の一軒家に一夜の宿を乞う。ふと見ると、老女が斧を研いでいる。二人の視線がぶつかる。「一本しかない針が折れたので、斧を研いで針を作るのじゃ」と老女が言う。
若い僧は自分の浅はかさを悟り、寺に戻って修行を続ける。老女は観音菩薩の化身、僧は若き日の弘法大師と言われる。いさめる老女の目、己の弱さに気づいた瞬間の青年僧の目。見る者はその目に吸い込まれる。
この民話を絵にしたものであり、「磨針峠」の名が付けられたことを知った。
この広重の迫力のある浮世絵であり、磨針峠と言う経緯を知り、再び訪れてみたいと思っていた。
そんな矢先、9月、レイカの仲間と鳥居本宿から磨針峠に足を運ぶ機会を得た。早速出向くことになった。

今回は、磨針峠に関わることを下調査してやってきたのだが、望湖堂からの眺めには新たな感動が沸かなかった。眼下にあったと思われる内湖がなく、遠くにかすんだ琵琶湖の湖面だけであった。食料増産の名のもとに、小中の湖(安土町)を皮切りに、琵琶湖が埋められてきた土木事業が優先されてきた結果がこれだ。西の湖・大中干拓地を歩む
この美しい内湖が、昭和18年前には存在していたと思うと残念だ。今は、歌川広重の浮世絵から当時の内湖を偲ぶしかない。
鳥居の下に付いている階段の急勾配の凄さは、歌川広重が描いた坂道そのものであった。この描かれた迫力ある坂道の構図の方が、実光景より印象深く脳裏に焼きついてしまったようだ。 ここはかっての賑わいもなく、中山道を回顧する人達が、時折訪れる時代遅れの観光スポットになってしまったようだ。
人通りも殆どないところに、大勢が詰めかけたものだから、望湖堂の田中さんが気を利かして敷地内の庭に招いてもらった。手入れされた庭から眺める風景は、エレベータ会社・フジテック彦根工場の実験搭(高さ170m)や琵琶湖や湖東平野がよく見え、一味変わった風景であった。

近江の宿駅勉強会(高宮宿・鳥居本宿を巡る) 長浜城歴史博物館館長江竜喜之とレイカの仲間達

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