清水の桜(しょうずのさくら)
2012年04月23日

清水の桜(しょうずのさくら)

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nonio

• 野洲市

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  毎年、春先になると、家棟川に向う道の川岸の法面に、鉄パイプが組み立てられる。桜の花見用の桟敷である。この川の両岸に植え込まれたソメヨシノが満開になる頃になると、朝鮮人街道沿いの富波の人達による恒例の宴会が行われる。今年もソメヨシノがつぼみの頃、桟敷の準備をされていた。毎年、4月の同じ日に行われているように思うのだが、今年は、一週間ほど開花が遅れているので、どうされたのであろうか。

 日を置いて、家棟川へと流れ込む祇王井川の辺りを散策した。妓王が平清盛に頼んで江部荘へ引いた水路である。この川沿いのソメヨシノは、既に盛りを過ぎ、桜の花びらが散り始めていた。花びらが水面に舞い降り、花びらが様々な紋様を描いて優雅に流れていた。流れる様子を筏に見立てた言葉として、正しく「花いかだ」がぴったりであった。桜は「あっと」言う間に、花弁を散らしてしまった。

 野洲の染井吉野が散り始める頃になると、湖北の海津大崎の桜はこれからである。今まで真っ白だった比良山系もこの頃になると、蓬莱山の頂きだけ僅かに白くしている。滋賀県を北上すると湖北の山々には、まだまだ残雪があり、肌寒い。桜にとっては開花時期となる。 

 海津大崎の開花時期の桜並木は、人、人。おまけに自家用車が押し寄せ大渋滞となるので、ここは避けた。桜海津から敦賀方面に行く国道沿いを少し右側に入ったところに「清水の桜」がある。この「清水」は、「しみず」と読まずに、「しょうず」と読む。琵琶湖一周した時、この呼び方と県下最大級の桜であることを知った。海津大崎から少し離れたここを訪れる人は、本当に桜を愛でる人のようだ。 
 この彼岸桜は、海津のまちはずれの墓地の中に、高さ16メートル、幹の周囲6.4メートル樹齢300年以上といわれる巨桜が墓地を被さるように大幹を張っていた。作家・水上勉の小説『櫻守』では色んな桜を語っているが、主人公弥吉の終焉の地である「清水の桜」を選んで、小説を締めくくっている。水上勉が最も思い入れのある桜なのであろう。

 作中、作家水上勉らしい文章を引用すると、「真下の墓石はみな軍人の墓だった。何々上等兵、何々軍曹、何々兵曹と彫られた御影石の墓標が、まるで大桜の根をとりまくように密集していた。戦死すれば、桜の下へもどって来れることを夢にえがいて召されていったのだろう。弥吉は、小雨にぬれる戦死者の墓標に、傘をさしかけるようにして、枝を張る冬桜をみて瞼がぬれた。枝一本損傷していない桜は、おそらく、共同墓地の霊木ということで、誰もが手折ったりしないのだろう」と描いている。そして、「海津の清水と言うところに、・・・・そこへ埋めてくれ・・・」の弥吉の遺言どおり、木の下に眠ることになった。

 開花したときに訪れたいと機会を狙っていたところであった。今回、巨桜が咲く状態を観る事ができ満足した。

「清水の桜」は、アズマヒガンザクラと呼ばれる種類の桜で、滋賀県自然記念物にも指定されている。桜の野生種の一つ。彼岸ごろに花を咲かせることからこの名前がついたようだ。桜の花は咲き始めから散るまでに多少変化はあるが、「清水の桜」の色の変化は、初め濃いピンクそして徐々に白くなって行くのであろう。三四分咲きの頃は樹全体が炎えるような真紅のかたまりになると案内版に説明されていた。

 見た感じでは白っぽくみえた。開花後、何日も経っているのであろう。
花びらをアップしてみると、白っぽい花弁に混じって紅色に近い赤味かかっていた花弁もあった。多分、三四分咲きの頃には、真紅色の花弁が多く、真紅のかたまりに観えるのであろう。この桜を知れば、知るほど新たなことを知りたいと思う。

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