これからも生き続けるだろう巨木/唐川の一本杉
2015年11月19日

これからも生き続けるだろう巨木/唐川の一本杉

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nonio

• 野洲市

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幾分迷い気味に、気の合った友人と湖北の木ノ本駅に向かっていた。この辺りは、戦国時代の表舞台であった姉川・小谷・長浜・賤ケ岳などの地名があるところである。赤後寺の近くの延々と続く農道で、ふと、顔を上げると、巨木が目の前に。

 高月町唐川地区にある樹齢400年のスギで、「唐川の一本杉」と呼ばれていた。 

 昔、この辺りは、余呉川が氾濫して散々苦しめられた。この川に観音さんを沈め、この杉を植え、田畑などの耕作地を守る神として、崇められてきた。

 この巨木は、かなり弱っていた。

 標示板には「県下最大級の巨木にして、 かつてその端麗な容姿は 名木中の名木と謳われた。しかし昭和50年より古木化が進行し、往年の威容は急速に失われ... 」。 2008年から樹木医の指導によって土壌改良など樹勢を回復させるための治療が施され、樹勢も徐々に回復してきていた。 人より長い命を持つこの樹は、次の世代さらに次の世代へと受け継がれていくでしょう。

 杉の寿命は800~1000年、屋久杉では3000年以上ある。だが、悲しいかな~、巨木の寿命は人の都合で決まるようだ。

 唐川の一本杉(野神)は神木となって手厚く保護され、運よく生き延びその寿命を全うするであろう。一方では、人は神社仏閣を建てるため・金儲けなどで巨木を倒してきた。京都市の三十三間堂の棟木を切り出し「三十三間山」と呼ばれる。 田上山地帯は、鬱蒼とした緑豊かな森林におおわれた杣山であった。奈良・平安時代の都の造営や寺院の建立のたびに、巨木を切り出した。最近では朽木のトチの巨木の伐採など、枚挙に暇がない。

 ここに来たのも何かの縁があったのであろう。通過した証として、この杉を写真に収めておいた。

樹高20m、幹周8m推定400年の巨木

唐川の一本杉の地図

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